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2009/9 bQ92 小熊座の好句 高野ムツオ
マルセーユ石鹸からの蜩か 浪山 克彦
マルセーユ石鹸とは、マルセーユから広まった石鹸のことだが、
その製造には厳しい製造基準があるようだ。十七世紀にルイ十四
世が定めたらしい。それは天然オリーブ油とパーム油、それに
地中海の海水や塩などを用いて作るらしい。
日本でも自然製品嗜好の波に乗って、静かな広まりを見せている。
自家製のものもあるとのこと。もっとも、こんなことは、この俳句の
鑑賞にあまり関わりはない。関わりがあるとすれば「マルセーユ」と
いう都市のイメージぐらいであろう。
それも、私には、地中海の大きな貿易港ぐらいの知識しかないし、
それで十分だと思ってもいる。古い小さな洋館の小さなタイル張りの
浴槽。その隅に使い減りして半分ほどになった小さな石鹸が一個。
じっと耳を傾けていると、その中から蜩の声が湧くように聞こえてくる。
いや、それは風呂場の外から聞こえてくるのだ、というのは、現実
世界しか信じない人の考えだ。蜩は空の奥からも、時には押入れ
からも聞こえてくると聞き、頷く人なら、石鹸の中からも聞こえるという
ことを、即座に了解してくれるだろう。
なぜ聞こえるのか。なぜマルセーユ石鹸なのか、そんなこともどう
でもよい。白い半透明の石鹸から、まるで、そのエキスが溶けあふ
れるように蜩の声が湧くのである。その静かで豊かな時間がこの句
には表現されている。もちろん、実際にマルセーユを訪れたことの
ある人なら、もっとさまざまに想像世界を広げることができるだろう。
片虹のそれも大虹川の杭 森 黄耿
この句は、虹を見ている句ではない。虹が消えた後の川の杭を
見ているのだ。一本だけ、文字通りぶっきら棒に立っている杭を
眺めながら、さっきまで空に懸かっていた虹の美しさを夢想している。
そして、虹という存在の、存在の仕方に感銘しているのだ。虹とは、
消えるために現れる現象といっていい。虹が美しいのは七色である
からではない。消えるものであるからだ。そして、その消えた部分、
消えた時間こそが、もっとも美しいのだ。この句は、そのことを暗に
主張している。作者は、そう思いながら、かつての虹の根でもあった
ような川の杭を見つめているのである。
戦前に終りし昭和蝉時雨 増田 陽一
戦前とはいつのことか。辞典によれば第二次世界大戦の前とある。
しかし、日本は、世界大戦参戦以前から満州事変、日中戦争と戦線
を拡大していたから、昭和は、その始めから戦争の最中だったとい
っていい。つまり、昭和は昭和の声を聞くとまもなく滅びていたのだ。
この句は、その、本当は来るはずだった、しかし、ついには来ること
のなかった平和な昭和を偲んでいるのだ。
わたすげは少年兵のようにとぶ 佐々木 とみ子
この句から戦争末期の少年特攻兵と呼ばれた若者たちの姿を思い
浮かべるのは私だけではないだろう。
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