2009 VOL.25 NO.293 俳句時評
世代論の陥穽 渡辺 誠一郎
「俳句」の七月号では、「団塊の世代が俳句を変える−いま中核を担う俳人たち−」の
特集を組んでいる。昭和二十二年から二十四年生れの俳人五十三名を取り上げ、作品
とエッセイ、そして編集長の立場にある俳人へのアンケートを行なっている。編集者の意
図は、この世代に俳壇の新しい俳句の潮流を期待したいということである。団塊の世代と は、戦後ベビーブームの時代に生まれた世代で、他の世代に比べて人数が圧倒的に多 い。この世代は、今や還暦を過ぎ、会社人にあっては要職を経て定年を迎え、高齢者の
仲間入り、あるいはそのとば口に立っている。
この特集では、団塊の世代の一人である橋本榮治が、〈総論〉として「転換期の群像」と 題した文章を寄せている。橋本によるとこの世代は、「俳句年鑑」に掲載された住所録の 約5パーセントを占める。そのうち二人に一人の割合で、主宰、編集長、同人会長などの
立場にあり、俳壇を動かし得る実勢となっている。それゆえこの世代にこそ、俳壇を変え る力が求められるゆえに、共通の作品世界や俳句観があるかどうか。そして俳壇の中核 の立場にあって何を考えているのかなどに注目したいと。
世代論ありきは疑問と思いながら、ページを捲ってみたが、ここから団塊の世代共通の 像を浮かび上がらせるのはなかなか難しい。エッセイから特に印象に残る言葉を引く。
「言葉が実体を離れてぼやけてきている。〜ひとたび手放したものは取り戻せるのだろう か。せめて、現在という足場に立って思いを深くしたい。」(原雅子)
「新興俳句が築いたその詩精神を継承しながら、俳句形式を一度解体し、そこから未来 へつながる質の俳句構造を検証したい。」(高岡修) 「大勢に押し流されることなくそれぞ れが自らの個性を総ざらいし、切っ先鋭い個性の矢を十七音の的に向かっておおいに放
ち合いたいものである。」(鳥居真里子) 「私自身も熱い志をもって「創刊のエネルギー」 を自分の中に見出しながら「俳句の新しさ」を追い求め、還暦を機に自らの中に「自己更 新力」を醸成させていきたい。」(能村研三)
いずれも時代のなかにあって、自らの立場を見極めながら、俳句表現にたいして果敢に 向き合おうとする意志と見識が感じられる。しかし、字数の限定されたエッセイにこの程度 の内容がせいぜいのところだろう。共通しているのは「成熟」なる言葉とはかなり遠いとこ
ろでの発言に聞こえること。この世代は成熟できない世代でもあるのかもしれない。橋本 榮治も総論で述べているように、この世代が多様化の道を失い、各人が自己への関心へ と向わざるをえなかった世代ゆえに、成熟とは異なる道を選択しつづけてきたともいえそう だ。
同じように世代論については、「俳句研究」が、昭和五十三年(一九七八)の一月号と四 月号で、大正後期から昭和初期生れの平均四十七・六歳の俳人を対象に、「新俳壇の中 堅」と「中堅俳人診断」の特集を組んでいたのをみつけた。編集人である高柳重信の意図
は、俳壇の「老化現象」(高齢化の意味)が確実に進行しているなかで、俳壇に、先人達
が到達した俳句形式の高みに追いつき、それを乗り越えようとする意欲が急速に失われ てしまった危機感から、飯田龍太や金子兜太らの「戦後派」の次の世代である「中堅俳人
」に期待をこめたいということだ。「戦後派」の括りは、戦争という言葉が時代の区切り以 上の重みを持っているのに対して、「中堅」なる言葉は、社会のなかでの単なる中堅という 立場の意味しかもたない。
この視点は、そのまま現在も通用するように思われる。「老化現象」でいえば、今や高柳 の時代の予想を越えるスピードで高齢社会を迎えてしまった。より深刻なのは、後段の「 俳壇の停滞」のことだろう。
この時高柳が取り上げた俳人は、阿部完市、穴井太、飴山実、伊丹公子、飯島晴子、 磯貝碧蹄館、宇佐美魚目、上田五千石、大井雅人、大岡頌司、大串章、大峰あきら、岡 井省二、岡田曰郎、岡本眸、折笠美秋、加藤郁乎、川崎展宏、河原枇杷男、轡田進、斎
藤美規、酒井弘司、桜井博道、志摩聡、杉本雷蔵、杉本零、竹中宏、中戸川朝人、原裕 、平井照敏、広瀬直人、福田甲子雄、福永耕二、宮津昭彦、森田峠、矢島渚男、安井浩 司、鷲谷七菜子の三十八人である。今見ると壮観な人選である。
この「中堅俳人」は、先の「俳句」で取り上げた団塊の世代の平均より確実に若いことを 知って驚くとともに、あらためて、俳人の成熟度について考えると複雑な気持ちになった。 一月号では、代表句自選十五句に簡単なコメントがつくが、四月号ではこの特集を受けて
中堅俳人自身に「診断」させている。そのなかで、中堅俳人の一人であった飯島晴子の指 摘の真っ当さには驚いた。少し長いが引用する。
「前の時代では作家個々の仕事がまず為されて、それが集まって自然に一つの時代を 成しているのだが、後の時代は、もうそろそろこの辺で後続の時代を決めなければならな いということが先にあって、そのために作家をかき集めて、とにかく一つの時代に仕立て
たというところがある。本末顛倒の無理が見える。「戦後俳句」に続く時代の俳句が、いつ までたっても別の時代としての様相を見せてこないのは、作家個々が前の時代に欣然と 隷属しているせいであることは、すでに幾度も別のところで書いた通りである。作家を集め
るに句業として掴み出せるものが少なければ、あとは大結社の編集長とか、番頭さんとか 女流筆頭とかいうことで選ぶことになる。そんな次第では、文芸としての一つの時代の出 現を期待出来ないのは当然である。ただ自然時間上の時代区分があるだけのことになる 。」
そして、個人の才能は、時代のさまざまな力の上に開くものゆえ、取り合わせが悪い事 だってあるという。この開き直りも心地よい。それゆえ、俳壇も総合雑誌も、世代の括りを 諦めて「俳人を一人一人にして放っておいた方がよいのではないかと思う。」と。
ここには付け加えることは何もない。残るのは、団塊の世代の俳人にとっては、今後も、 先行する世代へいかに新しい表現を提示できるかだけだ。
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