2009/10 №293 特別作品
青時雨 渡辺 規翠
雀の子飛んで弦楽四重奏
摩天楼から一閃のつばくらめ
野仏は半眼にして青時雨
万緑の闇から濡れて山頭火
広重の船が出てゆく夏の朝
水無月の空の濡れ色砂時計
円空の跡を訪ねて夏帽子
ぼろぼろの盛夏何処から父の声
峯雲や志功の女神翻る
蛇の衣懸かりて峡の如来堂
炎昼の街のはずれを乳母車
昼月の高さを飛んで夏雲雀
鯖揚げの網から洩れて海の音
動き出す午に影ある夏の月
夏銀河硝子の鳥が言葉持つ
夏星を掲げて浜の六地蔵
旅鞄提げて星降る国にゐる
老人に無音の祈り月見草
夏探し天保を語る石の文
行く夏の手をさし伸べて阿弥陀仏
うましことば 高橋 正子
ほうたるを袖より源氏の君めきぬ
蛍火にことづて想いは風かみに
まだ思想持たぬ腕で泳ぎくる
サーファー翔ぶ夏暁を攪むかに
星まつり魚は鱗をひからせて
残照を刷くや追熟桑苺
今日の生うながし天牛髭を振る
滝の前青き砥石となる詩心
生きてきて熟してそよぎあう麦秋
夏暁座禅の足裏に昇りくる
流木の裸体漂して夏逝けり
残暑見舞切手舐めれば昭和の香
蘆の穂に乗って鶺鴒弥次郎兵衛
鳥の胸水面に白く秋立てり
空蝉や万歳形で宙を見る
石を噛む夏草子規のこころかな
夜の秋捩子工場に火花の香
帰る子にうましことばを吐く風鈴
野菊咲く品格ありし頃の恋
今朝の秋命いきおう魚跳ねて
夏帽子 山野井 朝香
仙人掌の棘の暗さに初老人
蓮咲くや寂しい人になりすます
夕立のむこうはいつも仏頂面
毛の国に言葉のかたさ野萱草
来世とは水に映りし夏帽子
こめかみに夏ゆうぐれの匂いかな
村史ありところどころに花いばら
おとうとの返答の間すずしかり
鳩尾に時を重ねし椎落葉
人妻にサガンは重し夏薊
対角の鳳仙花的昏さかな
少年の士ふまずからやませくる
河骨やよそ事にせし星一つ
揺れながらいびつに眠る水葵
沙羅の花とは声にしてみずみずし
凌霄花かたまりになる母の過去
人参の花のむこうに遅刻の児
身のうちを風吹きぬけし黄のカンナ
病葉となりて打ち明け話など
くちなしの二年坂から雨になる
城下町 遅沢 いづみ
カーラヂオ大音量のダリアかな
揚羽蝶女子高生の日記帳
茶道部に座るナターシャ麦の秋
腹痛にふと師を思ふ夏休み
浮輪持つて君の自転車の後ろ
冷夏にも一筋美空ひばりかな
黄昏の馬車道通り生ビール
外堀の柳に金魚城下町
港からイエスカステラ夏の午後
夏休み誰かがくれた偉人伝
名もなき坂の下方から秋の蝉
鬼灯の明るさでまだまだ行ける
街に出てバッタは天に帰りけり
秋風に舞ふ鼻紙のやうなもの
舞浜の舟の見る夢天の川
浦安に満月メリーゴーランド
台風を伺ふ理髪店店主
工場の中庭に秋の夕暮
お風呂場の電気の汚れ虫時雨
信長の知らぬ城山紅葉かな
蛍の火 大野 黎子
般若波羅蜜多有燦燦蛍の火
五蘊階空有山嶺磨崖仏
朝焼や色即是空花相似
夕焼や空即是色人不同
不生不滅有森々若葉風
不増不滅有炎炎山若葉
不苦不浄有炯炯若葉寒
菩提薩埵声自高蝉時雨
波羅僧羯諦望山月青葉風
菩提薩婆訶思故郷青葉道
昨年の現代俳句全国大会の記念講演は、酒井雄哉大阿闍梨であった。「そうかこの為に俳句
をやっていたのか」と思えて、実に何年かぶりの投句を済ませて名古屋へ行った。
時折、脳裏を掠める人達がいる。一人はチャタレイ裁判の伊藤整だが、壇上の伊藤整はこれが、
猥褻裁判の当事者かと思うくらい、小柄で繊細清楚であった。反対に恰幅が良くて、黒い眼鏡と
厚い唇が印象的な松本清張がいる。シンポジウムであったが、内蔵するエネルギーは客席へも
十分に伝わって来た。もう一人は女優の杉村春子、舞台での着物を着ている姿は、息を飲むほど
美しく、あの時のどきんとした感動はいまでも覚えている。
私の脳裏をろ過して来た人達と言える。忘れないぞ、と気負った覚えもないのだが、一面識も
ない人達からたくさんの感動をいただいた。この三人に今回の大阿闍梨が加わるかどうか、年月
をまたなければ解らないが、私のこころの収集品といえる。
(黎子)
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