2009/11 bQ94 小熊座の好句 高野ムツオ
蟷螂の斧学徒兵空へ発ち 古山のぼる
「蟷螂の斧」は一般には故事成語として知られている。准南子』や『韓詩外伝』にあ
る。猟に出た斉の荘公が、一匹の蟷螂が、あわや踏みつぶされそうになりながらも、
前脚を振り上げて荘公の車に立ち向かおうとしているさまに目を止め、「この虫が人間
であったなら、それは天下に並びなき勇士であっただろう」と感心した話である。その
ことから「弱小のものが自分の力量もわきまえず強敵に立ち向かうことの例え」となっ
た。
この句はそれを踏まえていようが、単純に蟷螂が学徒兵や日本軍で、荘公が米軍
だと了解したところで鑑賞をとどめては、この句の魅力を味わったことにはならない。
それだけでは、この句は先の戦争を椰楡した皮相なものになってしまう。この句では、
まず何よりも、作者には、現実に斧を持ち上げた蟷螂が見えている。さらに、その斧は
何に向かって、誰に向かって振り上げられたものか、自問している作者が見えてくる。
すると、この斧は、日本軍だとか米軍だとか、そういう時局的な対象にではなく、戦争
という悪を生み出した人間そのものに向けられていることが承知できる。作者は、その
悪の側に立つ一人として、学徒兵を悼み、悲しんでいるのだ。そう鑑賞するとぎ、私の
脳裏では蟷螂と相対しながら、その斧に頭を垂れている作者まで見えてくるのだ。そこ
に、この句の控え目ながらも鋭い批評精神がある。
ただし、付け加えるが、これは故事成語の意味から推測したことではない。蟷螂と
いう小さな、しかし、まぎれない生き物としてのありようが訴えてくる存在の重みからな
のである。
これが僕の骨だと夏の逝きにけり 増田 陽一
作者と親しかった田中哲也の追悼の句とある。しかし、句に即して読むなら、骨とな
ったのは、あくまで夏という時間そのもので人ではない。一夏という時間が、骨の形に
なって、今、ここを去ると作者に告げたということだ。私には目の前を、時間が秋風とな
って通り過ぎていくのが見えてくる。秋風は白い風、素風。しかし、そんな雅趣はどうで
もいい。夏そのものが真っ白い色をして、「これが僕の骨」だと作者に告げているので
ある。骨は時間の形なのだ。そう納得し前書きに戻るとぎ、夏という時間そのものが、
田中哲也という人間の生きてきた時間に重なるのだ。
人間にまぎれもなしと日向ぼこ 福原 栄子
雀らの影ちりばめて水澄めり 佐藤きみこ
木毎や山の端に海見えて来る 佐伯 秋
軽くなったら乗せてくれると秋の雲 岩井 タカ
今という光動かす鰯雲 澤邉 美穂
などにも感銘。ことに、岩井タカと澤邉美穂の句に、増田陽一の句とまた違った、時間
への思いのありようを感じた。
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