2010 VOL.26 NO.300 俳句時評
鈴木しづ子 矢 本 大 雪
ほとんど、どの「俳句辞典」にも記載されない作家の中で、かなり頻繁にとりあげられる
作家に鈴木しづ子(大正八年生〜?)がいる。
夏みかん酸っぱしいまさら純潔など
娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ
暦日やみづから墜ちて向日葵黄
これらの作品に代表される大らかな性愛を題材とした句により、賛否半ばしながら語り
継がれた作家である。いわば伝説の作家。その伝説を支えた要素は作品の内容だけで
はない。昭和十八年より松村巨湫の主宰する「樹海」誌へ投句しはじめ、昭和二十一年、
第一句集『春雷』を出版(自費出版ではなく、原稿料ももらっている)。これは千五百部初
刷りの後五千部ほど売れたという。戦後すぐの混乱期にはベストセラーと言えよう。その
後、昭和二十六、七年の二年間にわたり、師の松村巨湫のもとに大量の便箋・ノートに書
き連ねた作品(その数七千句に及ぶ)を送り続け、松村巨湫が自ら編集・企画・出版した
(しづ子の意向ではなかった)第二句集『指環』を昭和二十七年一月に発行、同年三月三
十日には、『指環』の出版記念会が催され、消極的ながらも鈴木しづ子本人が(最初で最
後)公衆の面前に姿を現した。『指環』にも写真があったというがすらりと背が高く八頭身
で、その美貌が人々の眼をひいたという。その美しさと作品の内容の過激さから、娼婦俳
句、あるいはパンパン俳句などの蔑称も受けた。その評判が彼女自身の耳に届いていた
かどうかは知るよしもないが、岐阜県でダンサーをし、黒人兵との愛をはぐくんでいた彼女
は、その最愛の黒人兵と朝鮮戦争への出兵によって引き裂かれ、麻薬に蝕まれた兵は
日本にもどる。しづ子はその変わり果てた姿に暗澹となるが、二ヶ月で母国アメリカに帰
国した彼はすぐに亡くなってしまう。そのことも大きな原因であったろうか、昭和二十七年
九月十五日付けの郵便での原稿送付を最後に、完全に俳句界から身をひいてしまうので
ある。その後も自殺説や北海道で別の名で一時期俳句を書いていたなど、噂は尽きない
が消息はようとして知られていない。その謎が、あるいは俳句を棄て去る潔さも手伝って
か、鈴木しづ子伝説は静かに俳句界の隅で息づいている。
この稿は、河出書房新社の道の手帖『鈴木しづ子―伝説の女性俳人を追って』をもとに
書いている。しかし、鈴木しづ子の作品を再評価しよというつもりはまったくない。ただ、俳
句界自身が、戦前の京大俳句会事件で受けた不当な弾圧を、教訓とすることもできず、
一人の女性俳句の内容の煽情的な過激さにうろたえ、いかにも俳句自体が聖人君子の
文芸であるかのように振舞ったことが情けない。
まぐはひのしづかなるあめ居とりまく
黒人と踊る手さきやさくら散る
実石榴のかつと割れたる情痴かな
情慾や乱雲とみにかたち変へ
売春や鶏卵にある手の温み
多くの俳人が使用をためらう言葉が目立つ。しかし、それは全体のごく一部である。とこ
ろが読者はそれらの言葉に(いい意味でも悪い意味でも)心臓を鷲掴みされてしまった。
極端にいえば、しづ子の術中にはまったわけである。誤解のないように断っておけば、鈴
木しづ子が読者を翻弄してやろうと思っていたふしはない。彼女は自らの実人生に基づき
それに空想を加え、虚構と事実ないまぜの俳句作品を投稿しただけなのである。そして、
自らが構築した心的な世界に忠実であっただけであろう。戦後直後という貧しく混乱続く
時代を一人で生き、続けざまに訪れる愛する者との不本意な別離。うちひしがれる彼女
の孤独をいやす手段が、俳句作品に自身の物語を思いっきりぶちまけることだったのか
もしれない。この程度の表現の過激さでも当時の俳句界に投じた波紋は小さくなかったよ
うだ。
俳諧が自らの内に、俗語を取り入れようと決意したことは、革命的な意識の冒険であっ
たろう。しかし、それもすでに四百年も前の俳諧の意識革命。さすれば現代の俳句用語
革命はさらに大胆であるべきではないか。どんな言葉も、いかなる表現もいったん取りこ
み、十分に咀嚼した後に俳句の骨となり肉(例えぜい肉、内臓脂肪であろうとも)とすれば
よい。作品の内容、題材に対してもまた同じであろう。鈴木しづ子ほどにあからさまではな
いが、彼女の前にも後にも性や愛を扱った女性の句は多い。
花曇り別るる人と歩きけり 高橋淡路女
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋 鷹女
雪はげし抱かれて息のつまりしこと 橋本多佳子
羅や人悲します恋をして 鈴木真砂女
トマト柔らかこの紅吸ひて血となさむ 小檜山繁子
現在の俳句界が閉鎖的かといえば、それはあたらない。しかし、俳句の可能性に向け
て、十分に冒険的、挑戦的かと問われれば、それもまた強く肯定はしがたいのではない
か。
しづ子が完全に俳句と訣別した理由はいろいろ推測できよう。愛する人をなくした孤独
感、師を含めた俳句界への絶望、あるいは境涯の急激な変化。個人的にはそれに興味
はない。しづ子の才能を特別評価し、惜しむ気持ちもそんなにない。ただ、鈴木しづ子の
身を搾り切るような(あるいはそう見せかけた)ドラマチックな独白は、つまりそういう俳句
の創り方はいずれ書くべきこと(テーマ・題材・述懐)が尽きるような気がする。しづ子には
自身を演出し、悲劇のヒロインとしてスポットを与え続けるために俳句の形式を一時借り
るという意識しかなかったのではないか。小説のように長い記述では一度でことたり、しか
も細かな虚構の粗が目立つ。俳句はその点じつに便利だったろう。俳句を愛するのでは
なく都合よく利用したゆえ、俳句から愛されることがなかった。そう思われるのだが。
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