2010/9 №304 特別作品
父 上 野 まさい
はらからとありし海の日海鳴りす
日輪を拝みたるのみ敗戦忌
草いきれ恋せしころも草いきれ
地底では微動つづけり髪洗ふ
遙かなるみんみん蟬と交番所
天動説信じて久し生身魂
元気てふ病もあらむ鳳仙花
地獄かと立ちあがるなり合歓の花
転生を考えてをり燕子花
海原に死ぬことにして昼花火
胃ぶくろの光る日なりし七月なり
ひるがほにとりまかれゐて一人つ子
天道虫もんどりうつて晩年へ
かき氷赤し東京遠きかな
暮れてなほまぶしき夏の水平線
つぎつぎに波つぎつぎに流灯が
耳たぶに刃物の匂ひ晩夏なり
空洞の日本列島天の川
あと百年あと百年と滑莧
酩酊の父よ傾く葉鶏頭
夏 野 土 見 敬志郎
留まれば全景さみし夏野かな
潮騒の膨らみきった五月闇
万緑の雨たっぷりと陸封魚
水際に水掻き並ぶ緑夜かな
夜となりて哀しみを解く水中花
プリズムに百態をなす夏野かな
見飽きてはまた一周の大夏野
大夏野ペットボトルに詰めてゐる
海鳥の声のアンテナ葦の角
万緑の雨粒甘し母の国
万緑や窯変したるわが五体
シオーモは海底の駅麦の秋
潮騒が麦秋の空膨らます
山の陽へ曝書のごとく歩きだす
柔らかに闇動きそむ青葉木菟
八月は永遠にわが膝頭
まだ闇の残れる薔薇を剪りにけり
空谷を上る水音朴の花
青葉騒水の窪みを均しゐ
滝落ちるたびに光が天降るなり
家系図 土 屋 遊 蛍
寝返えれば鳩尾までも夏怒濤
人間に尻尾の名残り雲の峰
脳髄に蝶の毀れる音がする
草蜉蝣眼に力溜めており
魂の撓る音せり夕蛍
家系図に嫂直しつくつくし
ブランデーグラスの中の青葉騒
山繭の眠る夕べもみちのおく
黒揚羽蝶いつも身内に怒濤音
空蟬の割れて白浪立ちあがる
全身に毒まわりくる天の川
灼熱の父の貝殻骨疼く
三叉路のひとつは空へ天道虫
青梅雨の端にて亡者の髭伸びる
万緑の風入れており柩窓
正直な磯巾着の笑い皺
鬼の子の泣く夜の空透きとおる
草矢打つ十万億土の闇があり
緑夜ならかの半裂と一壺天
花氷空に焦げ目があるという
常 長 大 森 知 子
老人も犬ころもみな夏岬
元タカラジェンヌの引っ詰め涼しかり
梅雨晴れ間支倉常長今も立つ
常長の袴や仙台茄子の紺
梅雨の蝶主柱高くに昇る影
夾竹桃石屋通りを狭めつつ
峡湾に帆船を止め合歓の花
ブルーラインコバルトライン杉落葉
伊達様の阿吽の龍や山背風
演劇はいよよ頂点山背来る
山背来るスローモーション見る様に
常長の亡霊とあり竹の秋
銀河より降りて鳴り砂浜にあり
天竺牡丹万石浦へ声上げる
ポンポンダリア吾にも三角波の頃
サムライと言うコロンあり残僅か
コンパスに夕影迫り花石榴
老鶯や支倉常長出帆の地
帆を畳みサン・ファン・バウティスタ涼し
合歓の花慶長遺欧使節船
蛍 髙 橋 正 子
手の中の闇を放して「あっ蛍」
ほうたるの闇よりうるおう人の声
世の音を消してほうたる目の限り
蛍火に潤うこの夜われは水
蛍雪の痛みを遠く蛍の夜
ほうたると今宵ともがら闇分かつ
濡れそぼつ匂いを両手に草蛍
せせらぎを翼のように蛍狩り
ほうたるや我はいかなる世の過客
蛍火に張り合わされて瑞の田面
ほうたるの火を掌に波打たす
ほうたるの火片月へのドナーカード
月光のほぐれ糸曳く蛍の火
蛍火は子との距離感そっと見る
蛍火に面変りせし夜の川
わが動き知るやほうたる潜る闇
進化論の頁を照らす蛍の火
ほうたるの闇呼び入れて野外ステージ
蛍火は詩への脈拍わが鼓動
蛍の夜星の斑入りの魚上がる
追ひつめる 渡 部 州麻子
金雀枝や握手の指輪ひんやりす
青空に蜘蛛うづくまる執刀日
足しても足しても野いばらの淋しがる
夏手袋黒く仏蘭西亭の午後
傷ひとつ無き夏蝶を追ひつめる
涼しきはギリシア文字のくびれかな
夕立来る海色の眼の猫が膝
端居して幸福の木をどうしやう
夏の雨あんず酒あまくなりなさい
貝がらの内なる微光夏深し
俳句甲子園の魅力は、若手俳人を輩出していることだけではない。
たとえば、俳句甲子園に参加した生徒達が、今度はボランティアスタッフとして戻ってくる
こともそのひとつ。大会が始まった頃の運営は、ほとんど松山青年会議所のメンバーと有志
の大人等によるものだった。今は違う。大学生あるいは社会人となった、かつての俳句甲子園
出場者が大きな戦力となっている。
交通費も宿泊費も自費。夏の一番暑い時期に、全国各地から手弁当で彼らはやってくる。
「俳句甲子園が好きだから」「仲間と一緒に、俳句甲子園を支えられることが嬉しい」……ただ
それだけの理由で。
こんなにピュアで熱い若者達が俳句甲子園に集うことが、泣きたくなるほど嬉しい。俳句甲
子園って、そういう場なのだ。
今年も八月七日から九日まで短く熱い三日間が待っている。機会があれば、この熱気に
ぜひ触れていただきたい。 (州麻子)
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