2010/10 bR05 小熊座の好句 高野ムツオ
私がここ二年足らず担当しているNHK俳句の八月の兼題は「終戦日」だった。題を
選定するとき、いろいろ考えたが、戦争体験のない私でも、八月といえば戦争とそし
て終戦。ぜひとも、この題にしようと決断した。予想通り、たくさんの応募があった。五
千三百句に及ぶ句は今の選者に代わってから最も多い数であったという。そして、い
ずれも深い思いがこもった作品で番組を飾ることができた。そのことを喜びながらも、
いくつかのことに改めて気づかされたので、この場を借りて、その一端に触れておく。
一つは俳句における類想と独創の問題である。これも予想をしてはいたことだが、
同じような表現や素材を扱った句が山と集まった。ほとんどがそうであったといっても
いい。「終戦日」だから、主題もある程度限定される。敗戦の悲しみ、怒り、そして、平
和の願いや喜びに集約されるといっても過言でない。しかも、「終戦」の他に広島忌
や長崎忌、沖縄忌など同様の主題の句は、この六十五年、他のどんなものよりも数
多く詠み継がれてきたもの。もしかしたら、もう戦争の句に、新しいものが生まれない
のではという気持ちもないではなかった。だから、選びながら、果たして紹介できる佳
句が揃うか心配でもあった。だが、それは杞憂であった。私は、新しい表現や発想と
いうものは、類想とまったくかけ離れたところに存在しているのではないのだというこ
とに改めて気づかされたのである。類想と紙一重の次元に、創造は生まれる。当たり
前のことだが、多くの人の思いや発想と別次元に佳句は生まれないということを再認
識したのであった。加えて、六十五年という歳月が、やはり、新しい「終戦日」の思い
を育むのだとも実感した。そして、思った。そこにこそ俳句形式の力があるということ
を。
今月の小熊座誌上にも、先の戦争をテーマとした句がたくさん寄せられ、感銘深い
ものが多かった。
列島を祈る形に折りて夏 浪山 克彦
列島の形をさまざまな姿に喩えた発想、これも数多い。鬼房にも〈下北の首のあた
りの炎暑かな〉がある。だから、こうした発想をもう止めようという考え方に私は従わ
ない。それは、「終戦日」の句はもうたくさんだというのとの同じだからだ。この句のど
こにも終戦という言葉はない。しかし、テーマは終戦そのもの。「祈る形」の有り様は、
読者それぞれの想像に任せたいが、私には項垂れて膝を折る一人の、しかし、無数
の年老いた母たちの姿が見えてくる。
炎昼の海底にある昭和かな 澤口 和子
昭和という時間そのものが横たわっている訳だが、海底といえば沈没した軍艦や
その乗組員のイメージ。そこには昭和が永遠に止まっている。
溶けそうな蝶が一頭原爆忌 武田香津子
の蝶の翅は原爆の閃光から辛うじて逃れてきたかのようだ。
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