鬼房の秀作を読む (1) 2010.10.vol.26 no.305
縄とびの寒暮いたみし馬車通る 鬼房
『夜の崖』(昭和30年刊行)
句集『夜の崖』は、ランボー、ボードレール等近代詩の詩情を遙曳しているように思われ
る。この句は、この句集の中で抒情の濃い作品であるが、その抒情の質は短歌・俳句の
伝統的な抒情と一線を画している。『夜の崖』全句を読み、そしてこの句を鑑賞してみると
なおのことそれがくっきりする。
冬の寒い夕暮れ、縄とびをしているかたわらを半ば壊れかけた馬車がガタゴトと通りす
ぎて行った、というのが外景であるが〈いたみし〉と表現したことで内景・作者の〈心のいた
み〉の暗喩に見えてくる。縄とびをして遊んでいる子供達は一見無邪気であるが、その〈い
たみ〉を敏感に意識している。大人よりも傷み、社会の不条理に対して子供の方が敏感か
もしれない。
そもそも、社会の不条理、人間の心の傷など負の領域を詠むのが詩である、という明確
な意識は西欧の近代詩から移入されたものである。社会の不条理に対する怒り、そして
哀しみが鬼房のこの句の〈いたみし〉に凝縮されているように思う。
そして、この句に限らないがモノクロで影絵のように暗い。寒色で塗りつぶされている。そ
れが、いっそう心の傷をくっきりと泛びあがらせる。いささか唐突であるが、戦後のネオリ
アリズムのイタリア映画にも、この句に通う馬車の暗いシーンがあった、と記憶している。
イタリアも日本と同様、第二次世界大戦の敗戦国であった。
(「陸」主宰 中村 和弘)
本島高弓さんの酩酊社は浅草下町の田中町にある。その頃昭和三十年は仕事の担当
範囲で、『夜の崖』は直接酩酊社で買った。木造のありふれた人家で机と本の間から痩身
の本島さんがよろよろと手探りで手渡してくれた。薄明の人、失明に近い様子で刷り上が
ったばかりですと『薔薇』を下さった。暫くして亡くなった。
編集部から句の鑑賞を依頼されたとき、薄明の本島さんが眼に泛んだ。
貪り読んだ『夜の崖』は、師の不死男の〈クリスマス地に来ちちはは舟を漕ぐ〉 〈夜店寒
く艀の時計河に鳴る〉僕の好きな生活詠に結びつき、喉に沁み込む水のように潤してくれ
た。
縄とびの寒暮いたみし馬車通る
寒くほそく運河をたたく排水音
子の寝顔這ふ蛍火よ食へざる詩
千住育ちで日光街道を来る荷馬車に乗せてもらい遊んだ。大橋を渡りささくれ立った荷
台の隙間から直に車輪の音が尻を叩いた。
先生の寒暮の馬車は僕を子供に帰して昔が現れる。縄とび、石蹴り、べい独楽など塩
竈と変わりなく「ご飯だよ」と呼ばれるまで遊びに夢中だった。大橋の船着場から芭蕉が旅
立ったのも、隣の誓願寺に父の墓があることも知る由もない。後年木枯、松崎豊、虎童子
さんと大川で句を詠まれた、懐かしい。
大川をくだるや厄日虚し虚し 鬼房
(越髙飛驒男)
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