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2010/10 №305 特別作品
水のゆくえ 佐々木 とみ子
ひと雨のあと擬宝珠の花ひらく
炎昼のさみしさ凝る火取玉
穀雨降るトンキン湾の魚売り
八朔を過ぎ岩の皺水のしわ
吾亦紅口をひらけばうそになる
もっと小さくみつからぬようお母さん
南溟へ少女のわたし手旗振る
舌にのせ雪の味する岩清水
秋の水交脚弥勒菩薩へと
夕焼の全円タクラマカン砂漠
玄奘もみたシニカルな蜃気楼
秋の旅黄河を常に右にして
干上がって久しき乾河ケルン積み
秋かぜの星宿海とよぶところ
雲海に置くカンテラと曲玉と
露の世を間寛平突っ走る
秋来ぬと小鳥につばさ魚にひれ
噴水の清めていたり爆心地
夾竹桃咲きつき上げてくる痛み
流灯や水のゆくえは手のゆくえ
夏日記 増田 陽一
新宿の雑踏抜ける原爆忌
青嶺あの上に昔の我らゐる
蓼科山の全容透かせ捕虫網
行儀よく蟬死んでゐる朝の卓
柱這ふ髪切虫ひとつ山淋し
山深き滝を斜めに黒揚羽
覚めてゐるのは夏鶯の意識のみ
アサギマダラの翅に記せる緯度経度
ひとの汗吸ふアサギマダラととも歩き
夏蝶の吻の触りや日の翳り
托卵の鳥の遠音や樽ヶ沢
キベリタテハは居ないか崖の行き止まり
蛇登らずの棘々の木に雲速し
蛾は異端にて近寄せぬといふホテル
東京の夜蟬親しき旅戻り
壁の花画架に西日の迫りをり
消し消して形象なき日の西日かな
素描描き消す間は蟬の騒ぎけり
蟬墜つる硝酸の泡払ひゐて
秋来れば鯨の骨を見に行かむ
青 嵐 神野 礼モン
大盛の鉄火丼青嵐
頑張れと肩を掠めて夏の蝶
胡蝶蘭旅の話を聞いており
梅雨明けて母の饅頭日和なり
縛り地蔵今日も解かず祭笛
切りし髪に海の風来る茅の輪かな
天よりの句集水木の花咲きぬ
星屑を受けとめている百合の花
ヘリオスの碑に汐風の蝶がくる
語り継ぐもの雨の岬の炙花
夕風に白をなお濃く山法師
長梅雨はもう飽きましたいぼむしり
風切って飛んでみたいと雨蛙
縁側に長茄子二本猫も居る
このたびもまた靴擦れや燕子花
釣瓶落し靴紐をまた結ぶかな
壺の碑蜻蛉集めて夕べとす
朝会の起立コスモス覗いてる
琉球の神の降臨岩清水
沼よりの風の集まり曼珠沙華
崖の百合 小野 豊
百合の花故郷は饐えし港町
嫋やかに風押し返す崖の百合
血潮にも沸点があり夏怒濤
屈葬の塚までの道草いきれ
明易し七つの浜に七社
風死して常世の波の蘇る
閉ざされし灯台の門釣鐘草
十代の魂は夏蝶海難碑
海に死せる十代多し浜豌豆
潮騒に讃美歌を乗せ避暑地かな
神棚は海境を向き夏座敷
潮風をふんだんに吸ひ梅干さる
顔上げてサーファー一会の波を待つ
八朔の潮風を吸ひ太極拳
墓石も残さぬ父の墓洗ふ
衣擦れの音ほどの波秋に入る
涼新た潮の穂先のうねりから
客の渡海色なき風纏ひ
嵌め殺し窓に海境秋澄めり
痩せ蟷螂太平洋に鎌向けて
敗戦忌 柳 正子
無蓋車に雨降りつづく敗戦忌
反故にされし人影八月十五日
死にゆける人も金魚もあふむきに
夕焼を真正面に帰省する
草原を泳いで帰る青大将
炎天下どこへ行くにも影を濃く
炎昼の貝殻骨の息災に
風と来て溶け入るやうに緑陰に
青田風映して黒瞳きらきらす
朝の森まづ春蟬の序曲から
何くはぬかほしていても破れ傘
蟬しぐれ夜来る前の海を見に
木星や暑気冷めやらぬ海の上
炎暑過ぎ夜空みづみづしく現るる
涼風や遠くの我の呼ばれをり
彼の世より遠き此の世のお花畠
身のうちにげんのしようこをはびこらせ
寝転べば我から天のはじまりぬ
白地図に夏の星座を書き足しぬ
木洩日の予言者めきて晩夏なり
一日の夏 宇津志 勇三
ビルの街ビルの形の朝曇
朝顔の花無き朝の弦怖し
夏休み耳には親の声ばかり
山法師山の匂ひのビル谷間
身中に川の音して白槿
知らぬ間に近寄つて居る夏の月
散ることは少年のためエゴの花
老眼鏡失くしたような夏の風邪
片陰といふ引き出し欲しや老年期
片陰を出でて野獣になりにけり
つくつく法師世間の音より染み出でて
君子蘭見られるごとに濃くなりぬ
万緑に隙間のありて水の音
空蟬の眼に映るテレビ塔
鯖缶を食ふかと思へばひぐらしが
食洗器よりひぐらしの声聞こえけり
夏の夕足の爪から暮れかかる
目を細め草しやぶる猫夏の夕
彼方から時降りて来る夏の夕
夕凉や戻りてのぞく花の店
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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