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 小熊座・月刊 
  


   2011 VOL.27  NO.308   俳句時評



          詩人と俳句  ―― 宗左近 ――

                              矢 本 大 雪

  ここに一冊の句集がある。著者は詩人、宗左近(以下敬称を略す)。句集名は『不知火』

 (平成十七年日本詩歌句協会より発行、発売北溟社)である。句集と述べたが精確では

 ない。本人の覚書によれば「本書『不知火』は、一行作品四二四句を集めたものです。そ

 れぞれの作品は、俳句以前であって現代詩以前、そして両者の中間、よって中句と名付

 けます。『蜃気楼』に続くものです。」とある。ゆえに純然たる俳句集という意味での「句集」

 とは言えないのかもしれない。章と呈示はしていないが、前生(姫島、青島)、中生(闇の

 粒の光たち)、現生(物質が精神に戻る、そんなのないこんな、夢の映らない鏡、白猫は

 化粧崩れせず、いない名探偵いる迷犯人、垂直を逆しまにして)、幻生(わたしの鏡、無者

 の他者)、来生(不知火、不知火 不知火 不知火 不知火)、の五部で構成されている。

 それぞれから一句ずつ作品を掲げる。

   一千の男に抱かれてきた 一人のあなたの白梅になるために    (姫島より)

   いる わたし いない きみたち 六十年 白い 風      (闇の粒の光たち)

   炎えてから始まるこの世 芝桜                  (物質が精神に戻る)

   卵 無者 蝌蚪 自者 蛙 他者                     (無者の他者)

   あの不知火 誰からも水と知られないなんて                (不知火)


  宗左近が作品を俳句とは呼ばず、あえて中句と名づけた理由は、抜粋した五句からも

 ぼんやりとは感じられよう。

  作品全体に共通していることだけを挙げておく。

 ○ まず全て長さはまちまちであるが一行作品であること。

 ○ 偶然五七五の形式になった作品も数句あるが、俳句的な五七五のリズムに倣ってい

 るわけではない。

 〇 一字空けが多用され、さらに助詞が極力省かれているため、フレーズや単語が列挙

 している印象が強い。

 〇 一句ずつは独立しているが、内容的には副題のもとでの連作の印象が強く、作品同

 士が関連し合う。

  率直な感想を述べさせていただくと、むしろ自由律俳句に近いのかもしれない。だから

 宗自身が「中句」と呼びたい気持ちも理解できないわけではないが、私は俳句として読ん

 だし、俳句と呼びたい。なぜなら、宗左近は詩人ではあるが俳句とは強い絆をもつ人だか

 らである。宗左近著の『さあ現代俳句へ』(東京四季出版)のなか、山口誓子の作品につ

 いて書かれた「ブツと物」と題する文章に、なぜ彼が『不知火』を生み、そしてそれらの作

 品をあえて「中句」__と呼ぶ理由が書かれている気がする。

  文章を引用したい。まず一般に、作品を書かれた当時の状況のなかに戻し、歴史の流

 れを辿って読む通時態と、現代の作品として読む共時態があると分類し、芭蕉のいう不

 易流行の不易は共時態で読みとれるもの。流行は通時態で受けとれるものではないかと

 言う。そのうえで〈山口誓子作品の、特に大正末期から昭和二十年の敗戦までのものは、

 じつに適時態で受けとらねばならないと感じいった。その即物性俳句は、当時の観念論支

 配に対する抵抗運動の趣が強いのである。そこには圧さえられた情念の暗いうねりが、

 場合によっては火照りがある。しかし、この俳人のあまりにも即物性の濃い作品は私は好

 きではない。現実の断片でありすぎる、という思いがする
〉と述べている。さらに、誓子の

 句をあげて大変な芸術家だとしながらも〈この俳人の作品には現在という時間しかない。

 過去も未来もない。いい直せば、この俳人の方法では現在しか詠めない。何という単次元

 の世界
〉ときめつける。山口誓子自身が語る「(もののあはれの)『もの』は、物です。外界

 の刺激です。『あはれ』はその外界の刺激に直ちに反応して叫ぶ『ああ』です」(朝日文庫

 『山口誓子集』巻末所収エッセイ「俳句へのいざない」より)という考え方には基本の「物」

 への誤解があるとし、〈なんという唯物論的な受けとりかたであることか。日本語と日本文

 学の伝統のなかでは、「物」とはブツのことではない。事物という場合の、その「事」とは、

 推移し変化してゆく存在のことであり、「物」とは不動で不変な存在のこと。つまり「物」は、

 人間や自然を支配する、ゆるがない第一原理、大きな宿命、根源の力のこと
〉と言う。さら

 に続けて〈この「物」は、写生ごときでは、つまり、カメラを向けただけでは、把握できない。

 思わなければ甘受できない。斎藤茂吉の「実相観入」の実相とは、じつにまた現象の背後

 にあるこの「物」のことにほかならない。それなのに、「ホトトギス」以後、いつのまに俳句の

 世界のおおむねでは、嘱目諷詠が、つまり単なる外界のスケッチ、というよりメモが、眼目

 となり主流となったのであろうか。そういう方法と態度では、山口誓子の亜流のスナップシ

 ョットの粗大ではなく粗小ゴミしかうみだされはしない
〉と主張する。〈俳人は、ブツではなく

 「物」に心をよせねばならぬ。過去と未来が感受できないようでは、どうして生が読めよう

 か。鎮魂の作品など書けないではないか。詩人になってほしい。
〉と結んでいる。実はこの

 最後の部分が宗の句集『不知火』全体とみごとに呼応しあい、作品を「中句」と呼ぶ答にも

 なっている。

  『不知火』には宗左近の戦争をはさんで経験、人生(観)、哲学が色濃く滲んでいる。さら

 に尋常ではなく俳句への意識が強い。つまり、既存の「俳句」にならぬようにとの意識、し

 かも反撥ではなくその形式を自らのなかにとりこもうとの焦燥。「中句」と呼び「俳句」とは

 違うのだとしながらそこに、そこはかとない俳句への敬意が見え隠れする。それは同時に

 俳句という形式に対する詩人の矜持でもあったろう。作品は単に詩の一行ではなく、かぎ

 りなく俳句に収斂する彼の精神世界の記録でもある。そして、俳句という型への一つの挑

 戦、揺さぶりと見たい。


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