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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (5)      2011.vol.27 no.309



     みちのくは底知れぬ国大熊(おやぢ)生く       鬼房

                                  『瀬 頭』(平成4年刊)
 


  みちのく。古くは道奥と記し、みちのおくと訓んだ。道は国と同義。つまり、国という概念を

 定めた中央勢力の及ばぬ場であった。その命名も朝廷によるものと推測される。鹿やラッ

 コの皮、昆布、砂金、薬草などの特産物や交易品を生み出すこの国は、都人にとって、遥

 か彼方の地、というよりも、深い闇を抱えた黄泉の入口のような存在ではなかったのだろう

 か。みちのくにも鬼女伝説がある。〈みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまこ

 とか 平兼盛〉その内容はさて置き、〈鬼〉とは時の権力に服わぬものたちの謂であった。

 蝦夷、土蜘蛛、熊襲、尾人などもそういう集団であったのだろう。中世、悪党と呼ばれたの

 も荘園領主や幕府の支配に反抗、敵対した人人、集団であった。この「悪」とは、わるいこ

 と、という単純なことではない。「悪源太」などと、接頭語として用いている、畏敬の念を抱

 かせるほど荒荒しく強い、という意味なのである。ここまで書いてきて、「みちのく」は大いに

 「大熊」に重なっていることに気付く。熊のことを親爺と表現するのは北海道も同様である。

 ここには、神と崇める念と家族のような親近感が同時に在る。そして、佐藤鬼房という存在

 がこの両者に加わる。自らを「大おやぢ熊」として憚らない表白は、「みちのく」に在ってこそ

 の矜持であろう。鬼房にして、この作品はむしろ、微笑ましく愉快でさえある。

                                             (久保 純夫)



  俳句が、文学という地位にあるためには、欠けてはならない条件が三つある。一は作者

 の人間性、二にその風土性、そして第三の時代性である。

  それに加えて、作品評価の基準となるのが、〈俳〉という、他の詩歌とは異なる独自の詩

 情、四季の自然と、作者という人間の交情から生まれる情感、すなわち、俳ごころ〈俳情〉

 の質量と、俳句文法の巧みさ、この二つの異なる能力のコラボレーション構成力である。

  要するに、人生の余技、趣味として〈俳句〉を、一元の熟語でとらえる第二芸術の只事俳

 句の次元では、鬼房句をとらえることができないということだ。これが、多くの結社・俳人を

 渡りあるいたあげくにたどりついた、わたしの〈小熊座鬼房俳句の世界〉だからである。

  その立場からこの課題句、芭蕉期、子規期に続く第三の俳句ブームに、多くの俳人が、

 業俳を、またタレント俳人を目論んで自らの風土を捨て、ペンを売りに中央に走った流れ

 の中、生涯、みちのくを捨てることのなかった俳人鬼房の人間性、工業立国という無機物

 文化の流れにまきこまれながらも、なお愚直な重量感を失うことのなかった風土東北、そ

 の住人たる大熊と親父達の確信と誇り、まさに文学俳句以外の何ものでもない一句と読

 むべきであろう。しかし、それもいまや昔日の感、淋しい限りである。

                                             (阿部宗一郎) 



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