2011 VOL.27 NO.310 俳句時評
世外が表舞台になるとき
渡 辺 誠一郎
詩人や作家を語るとき、かつては中原中也に代表されるような蓬髪無頼の飲んだくれが
一つの生きざまの象徴であった。今や詩人らは最新のスーツを着込んで、片手にしたアタ
ッシュケースに詩稿や原稿を忍ばせ、町を風のように通り過ぎる。それもずいぶん前のこ
と。そして現在、鞄の中にあるものは、小さなモバイルに変わった。
ある純文学作家の話だが、作家なりたての頃、先輩作家に挨拶を交わしたときに、その
作家の作品に感銘したことを述べたら、俺に媚をうるのかと凄まれたそうだ。その時はじ
めて、文壇の付き合いとはそういうものなのかと思い、付き合いのスタイルを作家モードに
整えたそうだ。この話を直接その作家から聞いた私は「子どもの世界」だな、と思ったもの
だ。要するに世の常識とは違うところで自らのアイデンディテイ―居場所を確認せざるを得
ない不幸な人種を考えた。一方、俳人はどうだろう。俳句の世界は「大人の文学」にふさわ
しい光景を持ち得ているのか。俳句は「市井の文学」ゆえに、少なくても純文学の世界ほど
「子ども」の世界ではないのかも知れない。一方市井といっても、俳諧師・俳人はそもそも、
世間の人間とは異なる「奇なる人」の意味を併せ持つ存在でもある。
ところで、近頃、人気歌舞伎役者の酒の席で起きた暴力事件がマスコミを賑わせた。ウ
エッブ上の「ウィキぺディア」には、すでに「11代目市川海老蔵暴行事件」の項立てがなさ
れている。
この事件について、歌舞伎にも造詣の深い、詩人の高橋睦郎氏が、「世外の徒、内面で
生きよ」と題して一月の朝日新聞に文章を寄せている。高橋氏によると、観客にとっての歌
舞伎という存在は「悪の解放装置」であるとする。つまり、人間社会には「善」だけがあるわ
けではなく「悪」はつきものである。しかし悪はどこかで発散されなければ世の中は乱れて
しまう。それゆえどこかでこれを発散させていかなければならない。その一つの手段として
「歌舞伎」の役割があるという。観る者は歌舞伎の舞台の中で悪を見て、これを内面で発
散することになる。これで観る者は「善」を表にした平穏な日常生活を送ることができると。
高橋氏は言う。「芸能・芸術、現代風に言い換えて表現は、善悪未分の世界および人間
のありようを、それぞれの表現形態に置いて、可能な限り効果的に提示すること」でもあ
る。特に歌舞伎は、「傾き」に語源を持ち、「過激に偏向」して演ずる、表現の場であ
る。それゆえこれを演じる歌舞伎役者自身も、かつては私生活においても「世外の徒」と
して振る舞いが許された。しかし今日の「市民社会」は「市民道徳」を求めるようになる。そ
こで歌舞伎役者に求められるのは、「表面上はあくまでも市民社会の一員として市民道徳
に従いつつ、内面的に世外の徒として生きるほかない。」と。
結びに、「善悪未分の世界および人閒の表現者たる者にはすべて、内面的に世外の徒
であることの自覚、むしろ自負が必須ではないか。願わくは社会の側にも、そのことへの
一定の理解が望まれる。」と述べている。
この高橋氏の言うことはその通りだと思う。ただ、歌舞伎役者に「河原者」の系譜があっ
たことを考えれば、もともとのエネルギーの源流が枯れていなかったとも思ってみたい気が
しないでもない。
生身の人間の中で、内面、つまり作品の顔と市民生活者としての顔はいつもどこかズレ
ているものだ。今日のように、法の網が張り巡らされた市民社会の中では、この二つの顔
は一層引き離されてしまう。
俳句・俳諧の話に移すと、江戸中期までの「奇人談」については、竹内玄玄一の『俳家奇
人談 続俳家奇人伝』が知られている。ここでは、其角の酒好きゆえの奇行や「人我とも
忘れたる隠者」としての惟然などが取り上げられている。この跋文で、雪中空華老人なる
者が、「若人」に呼びかけて、次のように述べているのが面白い。「そも風流に遊ぶ人、心
漫りに高ぶるときは、道をあやまち、またあまり謙りて懶き者は道を伝ふる事能はず。その
中間に遊んで世にほだされず、しかも情実のおほよそを出づるのひととなりをもつて、奇と
はいふなるべき。」
かの芭蕉については、やはり先に述べたように、二つの顔を一つにしたがっていた人種
に入るだろう。芭蕉は当時の点取り選者の世間から脱して、同時代の上田秋成から「こ
しらえもの」と揶揄されながらも、身をもって世外の徒の道を選んだ。しかし「世情に和し、
人情に達すべし」と言って世間との折り合いに器用な姿勢を見せる反面、〈うき我をさびし
がらせよかんこどり〉と自虐的にいじけいる面白さも持ち合わせていた。「野ざらし」の旅に
歩みを進めたものの、行く先々では、饗応山海の珍味が待つこと少なからずあったのも愛
嬌か。二つの顔は現実のなかでは、少なからず裏切られていく。やはり芭蕉はどこか勘違
いしていたのかも知れない。あの『おくのほそ道』ですら、当時の「紀行文」の世界では異質
であり、能因法師や西行をはじめとする芭蕉自身の〈中世偏愛〉の賜物にすぎないのだ。
それも芭蕉の場合、行儀のよい風体程度に終わったゆえ、上田秋成に揶揄されるくらいで
許されたともいえる。
改めて内面の徒として生きざるを得ないという現実を考える。これは、古いようだが、現
在でも引きずっている課題であると思った。ただ、「悪」を内面に同居させる表現する者が
世外の優等生ではやはり面白くないのも事実。やはり世外と内側はどこかつながっていて
世外に「悪」の内面の顔が出てしまうのも世の常と言ったら言い過ぎか。一方現代では、
「野ざらし」ということですら、「孤独死」に象徴されるように、現実から復讐されるように強い
られる時代。「野ざらし」の内面世界が、世外から予期せぬかたちで、世の表舞台に押し出
されてしまうという時代の様相自体が一層数奇なことに思えてくる。
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