髙柳重信は「佐藤鬼房は、相も変わらず悲しく懐かしい存在である」(「俳句研究」昭和
57年5月号、「特集・佐藤鬼房研究」編集後記)と記し、かつ「それまで茅舎賞と呼んでいた
ものが、現代俳句協会賞と改称されたとき、その最初の受賞者に佐藤鬼房がなった。」と
も述べていた。第3回現代俳句協会賞のことである。金子兜太、鈴木六林男、飯田龍太、
能村登四郎などより先の、戦後俳人ではいち早い昭和29年の受賞であった。
さて、掲句の〈壮麗の残党〉とは、いかなる物言いなのであろうか。白川静を援用させて
もらえば、〈壮〉はその文字に鉞を武器にする戦士階級を表し、すべての盛大なるものをい
い、〈麗〉はまた他に比べるもののない一双の鹿の角のことである。何れ中国では戦国以
後の用法らしい。
〈残党〉とは戦いによって討ちもらされた敗残の徒党であり、その敗け戦の底から、なお
生きる希望を見出すべき何かを志として抱き続け、敗北の悲惨なる現実すら希望に転換
する、それも美しく壮麗に転位させる心性を愛すべきであって、山焼きの火は遠いにも関
わらず、はるかに燃え盛る心の内なる火でもあるのだ。〈壮麗の残党であれ〉と希求する
佐藤鬼房の生き様が、この一句を支えているのではなかろうか。
(大井 恒行)
高く声を張った、朗々とした韻律である。
錆朱色の色調の多い鬼房俳句のなかで、この作品は華麗な色彩で詠まれた、鬼房のロ
マンチシズムである。鬼房俳句を論じる時に、しばしば「自虐の詩」というフレーズが援用さ
れるが、それは佐藤鬼房の多彩な作品のごく一面をいいあてるだけであって、胸中にたぎ
るマグマのような熱い想いを探りあてた読みではない。
蝦夷は鬼房俳句の一つのキーワードとなっているが、それは、ただ東北に生まれ育った
者の祖としての位置ではない。王権に服わぬ高い矜持をもって、弱者のために戦い滅ん
だ反逆の精神に、自らの来し方をかさねる鬼房のロマンチシズムである。〈壮麗の残党で
あれ〉、終生自己の俳句美学に徹しようとした、痛々しいまでの男の美学が胸に迫る。そ
れは俳句という一文芸の世界を越えて、生きるために美学も反逆の精神も捨ててきた、現
代の男たちのロマンを揺り動かす。
そう感じさせるのも、結句の〈遠山火〉にある。早春の淡い日差しのなかで、山焼きの作
業に勤しむ男たちの姿がある。大地の生命力を促す日々の労働である。もしかしたら彼た
ちも、蝦夷を祖とする末裔ではないのか。薄緑りに染まろうとしている胆沢の山並みを眺
めて、鬼房六八歳の若々しい言挙げである。
(浪山 克彦)