「やませ」(山背)は、オホーツク海気団より吹く、冷たく湿った北東風または東風のこと。
春から秋にかけて、特から秋にかけて、特に梅雨明けの後の夏季に吹く場合が多い。言う
までもなく、佐藤鬼房の住む東北地方の太平洋側も、この範囲内にある。掲出句〈やませ
来るいたちのやうにしなやかに〉のポイントは、当然ながら、その「やませ」が「いたち」の
ように「しなやか」であると主張していることだろう。「やませ」が鋭く柔軟な「いたち」に模さ
れたのは、佐藤鬼房の詩精神が、鞭のようにきわめて「しなやか」である証佐だ。とはいえ
「いたち」は可愛く小さな体ながら、相当に隠微で凶暴な肉食獣である。自分よりも体の大
きなニワトリやウサギなども、貪欲に捕食する。時に地を這うように、非情な冷害のダメー
ジをあたえる「やませ」の喩えとしては、十分説得力がある。この作品は、「やませ来る」
とやや重い措辞で始まるものの、全体的には柔らかく明るい先鋭な内容を獲得した。それ
は偏に「思想を薔薇のように」、という詩の最も重要な根幹部分を知悉する佐藤鬼房なら
ではの卓越した技であろう。〈吐瀉のたび身内をミカドアゲハ過ぐ〉(『鳥食』)、〈ブルートレ
ーンのスパークをあびしろながす〉(『瀬頭』)、そして掲出句〈やませ来るいたちのやうにし
なやかに〉(同)の三句は、今後も私の脳内の奥深くに刻印され続けるにちがいない。
(須藤 徹)
句集『瀬頭』所収。この句の前後に「やませ」を詠んだ十三句もの連作が並ぶ。そのなか
で具象的なイメージで詠まれた句に
折石は禱る石柱やませ風
綱もてやませを濾してゐる部落
結飯二個の幣に夜通しやませ吹く
などがあり、やませを忌み恐れる村里の実景が、その地固有の呪物のイメージを伴い身
に沁みる痛みをもって迫る。
そして、掲句の次にくるのが
やませ入りこむ内陸へ内臓へ
の句であって、「内臓へ」の措辞で「いたち」の出てくる感覚的根拠がわかる。
やませ――夏季、陸奥の沿岸に吹き寄せる陰湿な風、昔から稲をはじめ農作物の凶作
を喚ぶ風として恐れられるが、その風が鼬という、夜行性で鶏などを害する、しかも血を吸
うのみで捨て去り、その分大量に殺して惨害を与える凶獣であり、天敵の犬や狐などに追
い詰められると強烈な悪臭を放って逃げ去るという、どう見てもあまり好感の持てない動
物に喩えられる。このやませ=鼬が「しなやか」に内陸から人の内臓にまで忍び入るので
ある。
(増田 陽一)