純真無垢な幼子の安らかな寝顔からふっと立ちのぼる平和への願いと祈り。穏やかに
して誇り高く、毅然と明日を見つめる眼差しの鬼房が一句の景に佇んでいる。孤独と喪
失の日々を受け入れながら、生と死に真摯に向き合い続けてきた勁く静謐な時の流れ
に思いを馳せる。
〈女児〉の魂のぬくもりがその手のなかにそっと移り住み〈海の小石〉の精霊に〈睡り〉を
誘う。鬼房のひとつひとつの言葉との葛藤が、生命の煌きと希望の光を予感させてやま
ない。大空と遥かな青い海が夕日に染まるころ、遊び疲れた女の子のまどろみの手に
握られた小さな石ころ。いたいけない寝顔を見守るのは父と母なのだろうか、それとも
海という悠久の大自然なのだろうか。女児と小石が寄り添いながら夢の扉をたたく音が
聞こえてくる。
たったいま、ふたつの生命体があたかも同時に生まれ出て睡りについたような不思議
な感覚の世界。花びらにも似た女児の手にすべてを委ねて睡る小石は、果てしない宇
宙に浮かぶ地球のような青い宝石にも思えてくる。そしてそれはまた、鬼房自らを重ね
合わせているのかも知れない。少女から女性へと成長してゆく小さくも尊い命。小石は
その日の到来を約束するわだつみの使者にちがいない。
一句の言葉から寄せてくる鬼房の抒情が、さざなみのように皮膚をふるわせ心のひだ
に沁み透ってくる。
(鳥居真里子)
鬼房が俳句と関わりを持ったのは十六歳のときである。処女作にはその作家のすべて
が現れると言われる。
鬼房の句には、北指向や蝦夷への生涯にわたる主題が満ち溢れている。貧困、悲し
み、愛、苦渋。修羅の果てに見えてくるものをなりふりかまわず追い続けた人でもある。
また、他の新興俳句の作家に比べ、土臭く人間臭い。自れのみじめさや貧困などを、強
さや艶やかさに転じた句も散見される。「不条理な貧乏に耐えて生き続けた人を、尊敬
するくせがある」の言葉は、鬼房の思想を代弁しているかのようでずしりと重い。「低く暮
し高くを思う」志も尊い。鬼房のほとんどの句の相貌は傷つきながらも強靱である。その
中に、無季俳句である〈女児の手に海の小石も睡りたる〉が混じっており、幼女への暖か
な視線に和まされる。
もうひとつ気づかされるのは、晩年になるほど「恋」句が多くなることだ。だが、単なる
「恋」句などと理解すべきではなく、命を育んでくれた女なる者、母なる者へのオマージュ
と受け取るべきである。 〈おもい葉のやまたちばなにくちづける〉 〈かるかやの禾に触
れたる乳房欲し〉 〈秘仏とは女体なるべし稲の花〉 など、時代や生活に押しつぶされ
そうになりながらも、母なるものの安心の中に居て、生きながらえたのではなかったろう
か。
(吉本 宣子)