小 熊 座 2011/9   №316 小熊座の好句
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    2011/9   №316 小熊座の好句  高野ムツオ



     踏み込んで四万六千日の藪         平松彌榮子

  四万六千日は七月十日の観音菩薩の縁日のこと。この日参詣すれば四万六千日

 詣でたと同じ功徳があるという。
百二十六年分だ。浅草観音詣が有名で十日詣や千

 日詣の名もある。境内には鬼灯市が立ち竹串に挟んだ雷除守りが出るらしい。こうし

 たもったいない功徳が効率的に得られる
方法は他にもある。回転経堂や百万遍。前

 者は一回回すと
五千巻の経を読んだことになり、後者は十人で十万回念仏を唱えれ

 ば、十倍、つまり百万回唱えたことになる。ずい
ぶん都合がいい考え方だが、これは

 神仏にすがりたくても
すがる時間や方法を持たない庶民が、仏の功徳に頼るため

 生み出したささやか知恵である。

  この句、裏庭の竹藪あたりに足をつい踏み込んでしまったときの感慨と解したい。

 その余りにも雑然騒乱たるあり
さまに、藪そのものの生命力をしたたかさに感じたの

 だ。
そして、人間という生き物のありていに思い致したのである。「四万六千日」は、

 その時、ふと作者の脳裏を過ぎっ
た言葉に違いない。理屈ではない。栗林千津の言

 葉を借り
るなら天から降ってくるもの。藪につい踏み込んで慌てながらも、そのたくま

 しさに思わず微笑みを漏らしている作
者の顔が見えて来そうだ。

     阿弖流為の貌して雷の旺んなり      吉本 宣子

  雷といえば菅原道真。道真が太宰府で死んだ頃から都では天変地異が続く。道真

 を讒言した藤原時平が急死し、疫
病がはやり、日照りにもなる。さらに皇太子が次々

 死去す
る。きわめつけは紫宸殿への落雷。多数の死者が出た。すべて道真の怨霊

 の祟りと恐れ、道真は雷神になった。この
句は、同様に雷は阿弖流為の貌をもして

 いるという。確か
に朝廷の奸策に遭って大阪枚方で斬首された阿弖流為は道真以上

 の恨みを持っていよう。しかし、おそらく阿弖流為
の雷は都には落ちない。みちのくの

 田におびただしい稲妻
を降らせながら稲の実りをひたすら祈念するだけであろう。阿

 弖流為は侵略されても侵略はしない。「旺んなり」
という表現がそう思わせる。

     緩歩類として炎天を渇きつつ       増田 陽一

  「緩歩類」とは体長一ミリ以下のクマムシ類といわれる淡水の生き物。短い足でゆ

 っくり歩くから、この名がある。
環境適応力が強いそうだ。自らを、その姿に重ねた句

 だが、
人間も緩歩類も同じ生き物だと頷かさせられる。

     瑠璃色の尾を切り放つ夏の果       我妻 民雄

  尾を切り放ったのは蜥蜴でもあり作者でもある。

     被災児と逢ふ油照潜り来て        古山のぼる

     鯨幕くぐり溽暑の津波遺児        山田 桃晃

  大震災の痛ましさを伝えて余すところがない。

     死はただの移行に過ぎず籠枕       さがあとり

  この醒めた見方も「死」の真実を的確に突く。



   
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