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 小熊座・月刊 
  


   2011 VOL.27  NO.317   俳句時評



          雑誌の終刊は次の時代を予告するか

                             渡 辺 誠一郎

  季節が変わると吹く風が変わりはじめるように、雑誌の終刊を目の当たりにすると時代

 の様相の変化を確認したく
なる。雑誌を手にする側は、残された雑誌とともにあった時代

 のなかに、一人置いて行かれたような気持ちになる。

  俳句の総合雑誌 「俳句研究」 (角川マガジンズ)が、この秋号で休刊となった。「俳句

 研究」は、季刊で発行を続
けてきた。2007年9月までは月刊誌であったが、一時休刊

 を経て、2008年春号からは、発行元を替えて季刊誌と
して発刊を続けてきた。

  「俳句研究」は、1934年に改造社から創刊された。俳句の総合雑誌としては最も古い歴

 史を誇った。創刊は、
文芸評論家の山本健吉が編集を手がけた。「詩歌は、文学全体の

 根源である」との言葉通り、俳句を核に据えながら、
幅広い文芸雑誌のスタイルをとった。

 草田男、楸邨、波郷
らを俳句の世界に明確に位置づけた。その後、発行元を変えるなどを

 し、終刊や復刊を繰り返す。1968年4月号
からは、俳人の高柳重信が携わり、総合雑誌

 としての大き
な役割を果たした。特に新しい俳句のあり様を意識しながら、常に俳壇の危

 機的な状況に警鐘鳴らすような論議の場
を提供した。同時に忘れてならないのは、50句

 競作とい
う新人発掘のための賞を創設したことだ。

  高柳の死後、1986年に角川書店系列の富士見書房が発行元となって、俳句人口の拡

 大に呼応するように読者層
のすそ野を広げる編集に変わる。しかし、新人の登竜の機会と

 して、「俳句研究賞」を継続したが、季刊となってか
らは、「俳句研究30句競作」と形を変え

 て引き継がれた。
ここでは選考委員を一人にして、応募者と一対一で真っ向から向き合う

 関係の場をあえて設定することで、個性ある
新人を見出そうとする意志が伺えた。その他

 季刊でしか
できない、さまざまなスタイルで、特徴ある作品欄や鑑賞欄、評論、連載、作家

 特集を組んで誌面を充実させてきた。
俳句雑誌としては破格の400ページの誌面は、他

 誌にな
い読み応えがあった。

  しかし当然のことだが総合雑誌は、経営によって成り立つ。販売は直接購読に限られ、

 書店に雑誌が並ばないこと
もあり、部数の伸び悩みにつながったのかも知れない。

  ところで今や時代は、電子書籍の時代が幕開けを迎えた。そしてインターネットは、情報

 の媒体の世界から紙の
役割を確実に相対的に低下させてきている。紙媒体の役割とその

 行方が問われている。俳句の世界も例外ではない。
ウェブ上では結社はもとより、個人や

 団体、グループが掲
載する、さまざまなスタイルの画面から、俳句や俳句作品を語るさま

 ざまな言葉が放出され、拡大・拡散の一途だ。表現の内容も、いわゆる俳句の表現を極め

 ようとするもの
から、趣味の世界に遊ぼうとするものまで、結社誌とは異なる多様で多彩な

 内容である。特に若い層には、師弟関係
を伴う結社とは違った、ゆるやかな関係の中で俳

 句を楽し
もうとする傾向が強い。さらに、俳句に関心を持っていても、俳句雑誌の購読に直

 接結びつかない状況が生まれてき
ている。今までも言われてきたことだが、俳句を嗜む多

 く
の俳人は必ずしも総合雑誌を買わず、結社誌のみを読む現実があった。ウェブマガジン

 の登場はこれに拍車をかけて
いる。

  このような傾向が、直ちに総合雑誌の役割の終焉につながるものではないが、時代の変

 化の中で総合雑誌の新たな
役割が問われているといえよう。

  結社は、主宰の俳句観や結社の理念のもとに雑誌を刊行
するために集う俳句団体。そ

 こから表現される俳句が、俳
句世界全体の中どのような位置を占めるのかを明らかにし

 いくのは、やはり結社を越えた総合雑誌の役割である。
結社の枠から作品を〈解放〉するこ

 とはもちろん、さまざ
まな俳句にかかる言説を交差させ、幅広い論議の場を提供すること

 だ。新しい俳人を発掘したり、作家論、作品論を
深める場としての役割は貴重だ。

  しかし、これも必ずしも総合雑誌だけの専売ではないともいえなくもない。ウェブ上でも簡

 単ではないが可能なこ
とだ。ではこの違いはなんだろうと考えると、それは〈経済〉の介在と

 思う。具体的には原稿料があるかどうかが決
定的な意味を持つ。作品を書く。原稿料を支

 払う。この関
係性があってこそ総合雑誌が成り立つ。経済が表現の土台と言ったら誤解を

 招きそうだが、これがないと総合雑誌の
編集はできないだろう。できても長続きはしない。

  ウェブ上のことは詳しくはないのだが、よく目にする出版社のウェブに掲載する作品には

 原稿料が支払われている
かは知らないが、一方、ウェブを開き、読む側が無料である現

 実である。ここからは有料サイトの論議になるが、ど
うだろうか。ウェブ上での総合雑誌の

 成立は現実的だろう
か。それも編集次第、市場性はあるかどうかだ。俳句という表現は馴

 染むのかどうか。これが成り立たなければ、当
分現在の紙媒体の総合雑誌の存在意義は

 失われない。

  しかしそれでも、今後、メディアの進展が一層進んでいく状況の中で、総合雑誌の新たな

 位置付けが求められてく
るだろう。総合雑誌に掲載された情報の一部をネット上にも掲載

 するなどの試みが今後は一層増えてくるだろう。
ウェブが、出版社の広告的な役割から一

 歩踏み込んだ、表
現の場として役割がますます比重を増すように思われる。ウェブの世界

 は、情報の発信の即時性が強みだ。総合雑誌
は月刊か季刊がほとんどであるが、ウェブ

 上では日々更新
が可能だ。私もウェブ「週刊俳句」の読者の一人だが、魅力の一つはや

 はり情報の新鮮さ、即時性にある。そして自由度だ。総合の雑誌の強みは、時間をかけて

 読めること。作品、鑑賞、評論などの俳句世界をまさにじっくりと読んで考えるための「総合

 性」が売りだ。ウェブと総合雑誌と
の相互の持ち味を生かした、適切な役割分担と緩やか

 な連
携の模索が当分は続くだろう。




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