2011/10 №317 小熊座の好句 高野ムツオ
金色の金にあらざる陸奥の秋 大場鬼奴多
陸奥の金と言われて頭にすぐ浮かぶものは二つ。一つは平泉の金色堂。一つは日
本初の産金の地宮城県涌谷。大仏造営の金の算段に苦慮していた聖武天皇が狂
喜乱舞し年号まで変えた後者の話は、マルコ・ポーロの黄金ジパングが金色堂をモ
デルにしている話と並んで、いかにも陸奥が黄金の国であることを印象づけるエピソ
ードだ。しかし、これはどちらも、ほんの一握りの権力者の話で、蝦夷の名もない民
衆には何の関わり合いもないこと。産金の地、小田の郡は、お陰で年貢はだいぶ緩
和されたそうだから、悪い話ではなかったが、もともと年貢は中央政権の略奪のよう
なものだから、そんなに喜ぶことでもない。だから、砂金の金色は、この陸奥の多くの
人々にとってたいして意味のあるものではなかったと考えるのはひねくれ過ぎだろう
か。
私としては、まもなくの厳しい冬の前触れとして、夕日に鈍く輝く山毛欅や欅、ある
いは落葉松の枯葉の金色の方が、はるかに陸奥の民の目に焼き付く色であったと
思いたい。この句は、そんな無名の民の思いを伝えてくれる。
どこにでも降る放射線風死せり 八島 岳洋
福島の原発事故以来、ベクレルとかシーベルト、あげくはセシウムなどという怪しげ
な言葉をだいぶ耳にした。見たことも聞いたこともないインベーダー(だいぶ古いか)
が宇宙の彼方から襲来したのでないかと戦々恐々とした。結論は何のことはない。
我等が頼りの科学が生み出した悪魔であったらしい。まずもって批判すべきは、それ
まで安閑とあり得ない未来の幸福の夢をむさぼっていた我等自身だと深く反省した。
その禍々しい放射線はどこにでも降るというのが掲句。何と嘆かわしい時代と思っ
たが、放射線には自然のものと人工のものとがあって、人類は誕生以来、この放射
線を浴びて生きてきたらしい。人工のものでもレントゲンなどの放射線は、むしろ、わ
が体のためと喜んで浴びてきたのではなかったか。つまり、放射線は、身辺にどこに
でもいつでも存在していたもの。放射線と人間は切っても切れない仲であったのだ。
原発事故が生んだ放射能も、また同根。その免れがたい事実と相対して生きねばな
らぬ思いが、「風死せり」という下五に裏打ちされている。
石鏃の飛んで来そうな日の盛り 土見敬志郎
どこから飛んで来たか。石器時代の奈辺からだ。地球は氷河期以降、気温変動を
繰り返しながら気が遠くなるような時間を経てきた。時には急激に気温が上昇した時
期もあった。しかし、現在の温暖化に比べれば、それすら実に緩やかといっていいも
のらしい。石鏃は、その古代から現代の我々に向けられた痛烈な批判のメッセージ
なのである。
カンナ真っ赤戦後はここから始まる 畠 淑子
配線のこんがらがって夏の果 田中 麻衣
始まりも終わりも、つまりは混沌のうちにある。
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