2011 VOL.27 NO.318 俳句時評
俳人は歌を忘れたカナリアになるのか
渡 辺 誠一郎
河東碧梧桐は、五十一歳の時に、東京牛込の寓居で、関東大震災に被災した。この時
「震災雑詠」を残している。同時に、「大震災日記」を自らの雑誌「碧」に載せる。日記には
地震の時、家が潰れるかもしれないと鴨居を睨んでいたとある。幸い被害は少なかったが
水もガスもなく、生活が一世紀も前に戻ったようだと嘆いている。都会での被災の様子は
今も昔も同じである。その時の俳句。
松葉牡丹のむき出しな茎がよれて倒れて
ずり落ちた瓦ふみ平らす人ら
青桐吹き煽る風の水汲む順番が来る
両手に提げたバケツの空らな
焼跡を行く翻へる干し物の白布
四谷から玉葱の包みさげて帰る日
水道が来たのを出し放してある
塀の倒れた家の柚子の木桑の木
自由律的な叙法は碧梧桐らしい。あくまで身辺諷詠といったもので、少なくともこの作品
には、被災にあった深刻さや震災の悲惨さない。しかし、淡々とした諷詠の中から被災して
いる実感が確かに伝わってくる。
ところで、今回の未曽有の東日本大震災、そして福島の原発事故に伴う放射能汚染を
前に、俳人たちの向き合う姿勢はさまざまである。特に俳句はこのような事件には、馴染
まないとの話をよく聞く。詠うべき詩型ではないとも。9・11の時にも同じような議論があっ
た。その時も、短歌の世界に対して、俳句が事件を取り上げて詠った作品数は圧倒的に
少なかった。今回も、同様に言われている。
この議論は「時事俳句」の話になる。戦争そのものを正面から詠おうとした新興俳句や戦
後の混乱した状況の中で派生した社会問題を扱った社会性俳句が知られる。このような
「時事」を扱う俳句表現に対して、大方は否定な見解のほうが多い。それは言葉の短さ、説
明の省略、季語の扱いなどの俳句の持っている特質が、「時事」を表現に取り込むのを困
難にしているといわれている。その側面があるのは事実。だからと言って詠うべきではない
というのは少し違うように思われる。
特に、先に作品を取り上げた河東碧梧桐と対峙した高浜虚子は、このような時事は詠う
べきではないと明言した。虚子は、碧梧桐が唱える新傾向と言われる「近代俳句」に対して
自らを有季定型と花鳥諷詠の立場から、「守旧派」を自認し対抗した。虚子は、俳句はい
わゆる思想を排除、制限するものではないという。ただし、客観写生や花鳥諷詠のなかに
表現しうる限りでのものと考える。俳句はあくまでも、虚子の考える客観写生や花鳥諷詠と
いう表現の船である。重すぎる物を積んで船が沈んでは困るのだ。それゆえ「時事」は荷
物としては形も特異で重すぎ、載せるべきではないのだ。それを載せたければ、それに耐
えられる、詩のような他の船にすればいいと。
先の大戦が終結したとき、戦争からの影響を俳句はまったく受けなかった、と虚子に言
わしめたのは象徴的な話。客観写生と花鳥諷詠という虚子の船は沈まず、無傷のまま終
戦を迎えることになる。
さらに虚子は、俳句を「思想の壁より、感情の林」の世界であるべきとする。そして、文芸
の基調を成す「もののあわれ」を特に大切にしたいと。「人は戦争をする。悲しいことだ。併
し蟻も戦争をする。蜂もする。蟇もする。其外よく見ると獣も魚も虫も皆互いに相食む。草
木の類も互に相侵す。これも悲しいことだ。何だか宇宙の力が自然にさうさすのではなか
らうか。そこにもものゝあわれが感じられる。」 (「俳句への道」以下同) そして、虚子はこ
んなことも言っている。「自然(花鳥)と共にある人生、四時の運行(季題)と共にある人生、
ゆとりのある人生、せつぱ詰らぬ人生、悠々たる人生、それらを詠ふのに適したのが我が
俳句の使命であると思ふ。」 明るくプラスの世界のみが穏やかに輝き、影の部分が見事
に欠落している。ここには無残な死や戦争は、俳句にふさわしくない表現対象として初め
から排除されている。「極楽の文学」とは虚子の言葉。
これは俳句観という話より、虚子の美意識そのものと思うほかない。「感情を起こさしめ
た其の事実景色」を詠うのを客観写生というが、その感情も条件付きなのだ。
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀仏 虚子
この句の意味を問われて虚子は、「私の信仰である。」と。
やはり高浜虚子は碧梧桐と同様に、大正十二年に発生した関東大震災によって自宅で
被災した。しかしこの惨状を前に碧梧桐のような俳句を残していない。意識して俳句に詠ま
なかったと考えるほかない。もののあわれの心情が、震災を詠うことを排除したということ
か。死者・行方不明者十万人を超える惨状を前に沈黙する俳句とは凄い詩型と思う。しか
し、虚子は震災を俳句に沈潜化、内実化したのだろう。
東日本大震災は、われわれにとって衝撃はあまりにも大きく、胸奥深く疼かせている。東
北で被災したわれわれと、直接被災を受けなかった地域に住む人によって、受けとめ方は
異なるかもしれないが、少なくともわれわれの周りで、震災を俳句に取り上げない俳人を知
らない。そこでは、俳句という詩型の議論はない。やはり目の前の大震災を何らかの方法
で表現をしたいという気持ちが自然に筆を執らせているように思われる。もちろん例外は
ある。今回の大震災後、作家を初め写真家、美術家などが、被災地に足を運んだのを数
多く見てきた。俳人のなかにも、被災地に向き合いたいと遠くから足を運び、必死に作句し
ている姿があった。それが自然に思えた。だからといって直截的に震災を詠めばいいかと
いうのではない。やはりシャッターは押せないといった写真家も知っている。その時十分に
表現できなくても、震災の体験が内面化され、いつか作品の内実を豊かにすればいい。総
合雑誌も特集を組んだ。
今回の大震災の被災にあって、俳句の歴史を思い、俳句表現の可能性について改めて
考えさせられるのだ。
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