鬼房の秀作を読む (14) 2011.vol.27 no.318
吾にとどかぬ沙漠で靴を縫ふ妻よ 鬼房
『海溝』(昭和三十九年刊)
昭和三十九年の作。〈宿痾の胆嚢切除 十二句〉の前書きがある。年譜によれば、それ
まで何度も胆嚢を病み、入院を繰り返した末の手術である。しかし、この十二句は「病」と
いう語が出てくる句はあるものの、前書きがなければ手術時の句であるとは想像もつかな
い。たとえば、掲句のほかにも〈木を咥へ死ね幻の太陽湧く〉〈何を虐ぐ煌と乾ける二月の
燈〉〈寒々と青踏む酸ゆい喉を持ち〉など、そこにあるのはカラカラに乾いた世界、灼熱の
世界、冷たく虐げられた世界、あるいは酸っぱく寒々しい世界で、手術という作者の現実
の苦しみは、ただの境涯詠としてではなく、地獄の淵を歩む旅人が見た幻のように、凄み
のある様々な「詩景」となって読む者の前に現れる。その先に一歩一歩、挑むように踏み
しめて淵を歩いてゆく鬼房が見える。
掲句、〈妻〉はただ届かない場所にいるばかりか〈沙漠〉にいる。私のための靴を縫って
いる妻は微笑んでいるようにも見える。しかし、手を伸ばそうとしても、走り出そうとしても、
砂は舞い上がり、足を取られ、そうするうちに〈沙漠〉はみるみる広がって妻との距離は離
れ、眼の前が黄色くなる。叫ぼうとしても、口の中にジャリジャリと砂が入り込むばかりだ
……なんと切実な妻恋いか。苦しみの中で人を恋う力の強さか。その強さに私は、絶望的
な状況の中でも愛の光に溢れた鬼房という男の、魂の強靭さを見る。
(相子 智恵)
一句の読みを拒む、あるいは、説明や感想などを加えると作者の思いから遠去ってしま
うという作品が少なからずあるが、掲句に限らず、鬼房にはそのような句が多いように思
われる。たとえば、
月光とあり死ぬならばシベリアで
は、俳句を始める以前に、文学好きの叔父から教えて貰い、一句を流れる鮮烈な蒼のイ
メージに、体の中を戦慄が走ったことを覚えている。老人の手慰みだとばかり思っていた
俳句が急に身近なものに感じられた。その時叔父は「なんでシベリアなのかと理詰めに考
えてはだめだ。また、詮索しても空しいだけだ。シベリアで亡くなった多くの戦友や兵隊さ
んたちよどうぞ安らかにと祈るだけでいいのだ。この作者は、月光をあびるたびに、この
思いを繰り返しているのだろう。なんてやさしい人だろうなー。」と言いながら、「音楽で表
現すれば、こんな旋律かな」と、抜き身のように提げていたトランペットを吹いてくれた。思
えば月の夜であった。
「佐藤は如何なるときにも、こゝろのやさしさを失はぬ人間であった」という、『名もなき日
夜』の、鈴木六林男の跋の言葉を待つまでもなく、〈吾にとどかぬ沙漠〉の措辞には、鬼房
流の、溢れるような妻への愛と、やさしさが籠められている。
(佐藤きみこ)
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