2011/12 №319 小熊座の好句 高野ムツオ
塗りつぶす前も黒なり終戦日 中井 洋子
塗りつぶされたもの、そして、塗りつぶす前も黒であったもの。それは果たして何な
のだろう。戦中戦後を生きてきた人なら、誰もが例の墨塗りの教科書を思い浮かべ
るにちがいない。これは国民学校の教科書のうち国家主義や戦意を鼓舞する内容
が記された所を読めないように墨で子供たちの手で塗りつぶさせたものだ。教科によ
っては全行が抹消されたものもあったという。実際に使用された期間は、そんなに長
くはないだろうが、その異様な教科書は、子供の目に強く焼きついたことだろう。しか
し、この句で黒く塗りつぶされているのは教科書だけではない。矢島渚男に同様の発
想の句がある。
黒塗りの昭和史があり鉦叩 矢島 渚男
この句では墨は昭和の歴史そのものに塗られている。戦争を引き起こした国家と
その時代への批評が明確で、しかも鉦叩の澄んだ声が、その元で耐えねばならなか
った民をも想像させる。それに比べて中井の句は、抽象的でイメージを伝えにくい。
たぶん暗黒であるのは、教科書も昭和史も、そして、人間の歴史そのものも含めす
べてであると言いたかったのだろう。それは、イメージは乏しいけれども、鋭く強烈な
イロニーそのものとなって読む者に迫ってくる。
ひんがしに鎌首たてて枯れる芦 佐々木とみ子
「鎌首を立てる」は「鎌首をもたげる」同様、蛇や蟷螂などが威嚇のために頭を持ち
上げたさまを指す。威嚇とはいうが、彼らは好んで人間や他の生き物を脅しているの
ではない。死の恐怖にさらされたがゆえの、必死の、しかも、ささやか抵抗なのであ
る。東に広がる芦原の一本一本も、同じだというのが掲句。ごく自然に、このたびの
大震災の無数の被災者の姿に重なる。一人一人の、静かな怒りと悲しみの姿が見
えてくる。
支へ合ふ骨の群れなり曼珠沙華 鯉沼 桂子
曼珠沙華という名は仏語では純白の花を指す。これを見る者は自ずから悪業を離
れることができるという。天人が雨のように降らすのだそうだ。俳句では現実の花を
指すわけだから、これにとらわれることはない。しかし、赤い炎のような花の中に佇
むと、この世の外に居る思いになるのも事実。死人花、幽霊花も、それゆえの別名
だろう。林立している、その花は、すべて支え合っている骨だという。土の下に眠る人
の骨が蘇って噴き出してきたかのようだ。この句も、どうしても、このたびの災禍と重
ねて読んでしまう。こうした読みは、たぶん私が死ぬまで続くのだろう。
胸中に取り込むべきは曼珠沙華 安達 幸子
その死者とともに遺された歳月を生き続けようとの思いを、この句から読み取る。
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