小 熊 座 2012/1   bR20 小熊座の好句
TOPへ戻る  INDEXへ戻る


   









    2012/1   bR20 小熊座の好句  高野ムツオ



    芋茎干す鳥食といふ村の晴          阿部 菁女

  「鳥食」は「鳥喰」とも表記する。岩手に多い地名で花巻、北上、一関にある。茨城

 にも見られる。栃木の鹿沼で
は「とりくい」と読むようだが、他は「とりばみ」と読んでい

 る。似たような地名に「鹿喰」や「牛喰」もある。青
森には「鶴喰」というのもある。由来

 は私には不明だが、
やはり、実際に狩猟し食べたことに基づくのだろう。由来はとも

 かく、これらの地名には、どこか蔑視の匂いがこ
もっている。かつては一般には、獣

 肉は穢れとして忌み
嫌って食べなかったからだ。「薬喰い」という季語は、それゆえ生

 まれた。鳥は獣には数えなかったから、鳥食を
「とりぐい」と食べる意に読むなら、差

 別意識はいくぶん
弱まろうか。しかし、これを「とりばみ」と読めば、まったく違った様

 相を呈してくる。「とりばみ」は大饗などの
後に、庭に投げられた料理の残りを拾い食

 べさせること
で、それを食べる賤しい民衆を指すことになるからだ。「取り食み」の表

 記もある。大饗とは宮中などでの饗応の
ことで「おおみあえ」とも呼ぶ。「鳥喰」はもと

 もと、そ
の年の吉凶を占う神事であった。それが貴族社会の中で差別的な遊興に堕

 落したのだろう。当事者は施しのつもりだ
ろうが、飢餓に耐えている貧しい者への冷

 たい仕打ちに他
ならない。

    鳥食のわが呼吸音油照り          鬼房

  その名前を冠せられた寒村の家々に今年も芋茎が干された。今は芋茎は正月の

 雑煮用として、ほそぼそ命脈を保っ
ている食品だが、かつては滋養に富む貴重な救

 荒食物で
あった。その干された芋茎の上の青空は、冬の厳しさとそれに耐えながら

 生き抜いてきた東北の民衆の心そのものの
ように抜けるような悲しい色をたたえて

 いるのだ。

    佛にも起源がありて草紅葉         渡辺 規翠

  人間が仏を意識したのはいつ頃からだろうか。宗教的行為を人類が行った証拠は

 中期石器時代、約三十万年前に遡
ることができるという。ホモサピエンス以前のもの

 は明確
ではないが、死者の埋葬に限るならネアンデルタール人も行っていたらしく、

 死後の世界というものを信じていた証
拠ということになる。確か、当時の棺から花粉

 が発見され
たという記事を読んだ記憶がある。死者へ捧げる花の花粉である。来世

 を信じ、その蘇りを祈る。その素朴な、つつ
ましい願いが、もしかしたら人間という生

 き物の生きる原
点なのではないだろうか。有史以前の古代の人々もまた草紅葉にも

 草紅葉の仏がいたと信じていたに違いない。次の
三句もつまるところは祷りそのもの

 といえよう。

    初ゆきが降る仏壇に神棚に        佐々木とみ子

    霜枯れの蓮田にしむる津軽三味     大澤 保子

    永遠にこの世は末世帰り花        さがあとり



  
パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
  copyright(C) kogumaza All rights reserved