2012/2 bR21 小熊座の好句 高野ムツオ
火となるのか吹雪となるのかおしら神 佐々木とみ子
「おしら神」つまりおしら様は柳田國男が『遠野物語』以来、養蚕の起源を説く異種
婚姻譚としてよく知られるようになった。おしら様の一方が馬の顔であるのは、馬産
地であることに関係しているという説もあるが、おしら信仰は古くは茨城あたりにも見
られたというから、むしろ、馬が男性器のシンボルであったという梅原猛の説のほう
が説得力がありそうだ。また、おしら様は桑の木製とばかり限らないから、養蚕と結
びついたのは後世になってからというのが今は通説となっているようだ。
二戸辺りは例外のようだが、おしら信仰はイタコと強く結びついている。オセンダク
と言っておしら様の祭日にはイタコがやって来ておしら様を遊ばせる。子供がおしら
遊びをする地方もあるが、これはイタコの代わりということだろう。イタコは死者を降
霊するのみならず、その年の吉凶をも予言する。田植えの時期やその年に適した作
物を語る。その家にもたらされるであろう慶事や忌み事も語る。その依代がおしら様
なのだ。梅原猛はおしら様が白木の神であることから、アイヌの神「シランバカムイ」
にその原型を見ようとするが、それはひとまず於いておこう。ここでは、木でできた神
の予言を聞く集いがおしら遊びであるということで十分だ。遊ばせるのはイタコでも子
供でもいい。私も四十五年前、このおしら遊びの真似事を見た記憶がある。昔話採
集に遠野を訪れた時だ。農家の神棚に祀ってあったおしら様をとりだし、わざわざ遊
ばせてくれた。「遊び」は「踊る」と同義である。おしら様はさまざまな布きれをまとって
おいでだったが、白っぽかったと記憶している。鈴の音が伴っていた気もする。記憶
違いかもしれない。おしら様のくるくる動くさまは、そのまま吹雪を連想させた。雪は
厳しい寒さをもたらすが、豊作の予言でもある。雪の白さは、そのまま米の白さなの
だ。では、この句の火とはなんだろうか。吹雪は確かに炎をも連想させる。例年なら
身の穢れを拭う清らかな火を連想することも可能だが、今年はやはり、原子炉の禍
々しい火を連想してしまう。いや、「火となるのか吹雪となるのか」という緊迫した表現
が、そう感じさせる。祈りは原初以来、自然を畏れ、自然に捧げられる営為なのだ。
マスクして墓標のごとく並びゐる 大場鬼奴多
風邪引きの集団を表現したのだろうが、福島の原子力発電所事故以来、放射能対
策用のマスクも連想してしまう。そう読むとずいぶん怖い句になる。
霜柱関東耕土くすくすと 須崎 敏之
関東ロームは霜柱ができやすい粒子なのだそうだ。関東一円、朝日の光とともに
耳には聞こえない笑い声が溢れる。
冬至かな血のみなぎれる耳ふたつ 上野まさい
冬空や地球の影は何処まで 増田 陽一
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