出だしは荘子を踏まえている。《北冥に魚有り、其の名を鯤と為す。鯤の大いなる
其の幾千里なるを知らず。化して鳥と為る。其の名を鵬と為す》と続く。カタカナ書き
も漢文訓読上の習慣を踏まえたものと一応は取れる。
「北冥」は北方の大海。「鯤」は本来単なる魚卵を指すが空想上の巨魚の名へと転用さ
れ、時が来て変身すると鵬という鳥となる。いずれにしてもその巨大さは想像を絶する。鯤
の寿命は詳らかにしないが「盲ヒ死齢越ユ」とは鵬に変身することもなく、巨魚のままに老
い衰えた姿か。
本来は万物のスケールを相対化し、世界をひとつの流体のごときものとなすために持ち
出された寓喩であったはずだが、句においてはそのダイナミズムは失われ、巨魚は孤心
と自恃のうちに膠着したまま、その身の巨大さを持て余している。無論鬼房の自己像が投
影されているのだろう。死ぬべき齢を過ぎながら、万物斉同の想像的調和へとダイナミッ
クに巻き込まれてゆくこともなく、暗黒にして酷寒の水中に、ただ自己意識のみをたたえ続
ける雄大な魚体。そのようなものを創造し、己の分身として共感を示すことで、孤心は孤心
のままにして、ある慰藉と解放に至ることができる。スケールの巨大さと距離の遠さは、頑
迷なまでに自己意識に固執したまま、同時に己の枠から解放されるという矛盾した要請が
必然的に引き起こした事態なのだ。
(関 悦史)
魚には、瞼が無い。それゆえ、目をつむる事は出来ない。眠る時も、夢見る時も、焼き魚
となって人間に食べられる時も、その眼は開かれたままである。
「荘子」三十三編のうち第一篇は逍遥遊編である。
― 北の冥い海に魚がいる、その名を鯤という。鯤の大きさは何千里あるか知れない。そ
れが姿を変えて鳥になると、その名を鵬という。鵬の背丈は、これまた幾千里あるか知
れないほど。羽ばたいて飛ぶと、その広げた翼は天空一面にたれこめた雲のよう。この
鳥は、海が荒れ狂うとき南の冥い海へ行こうとする。南の冥い海は、天の池である。―
二〇一一年三月十一日、北の海から、鵬は天の池へと飛び立ったのであろうか。決して
瞳を閉じる事なく。その目には何が映っていたのか、何も映っていなかったのか。
暗闇の中でこそ見える事実があるという。盲人は、優れた聴力をもつときいた事もある。
失われたからこそ、失ったからこそ超えていける何かがあるのだろうか。
鬼房先生の私にとっての最後の句会は、二〇〇一年春の塩竈句会であった。その時の
私の、「墓裏に春の魚を置いてくる」という句を、先生は、大笑いした、と微笑なさりながら
とって下さった。
あの春の魚も、今何処にいるのだろう。瞼を閉じられぬまま、何を見ているのだろう。
(水月 りの)