2012/3 bR22 小熊座の好句 高野ムツオ
鯔のごとつばさを休め春を待つ 浜谷牧東子
鯔はよく知られる魚だが、食用にはあまり適さない。しかし、かつては広く利用され
た。石川県七尾辺りには「鯔待ちやぐら」などという独特の漁法もあったそうだ。殊に
寒鯔は美味で珍重された。食用に適さなくなったのは鯔に原因があるのではなく人
間のせいにあるようだ。鯔は沿岸、殊に河口に生息するが、汚染が進み鯔の餌であ
る藻類などが汚れ、そのため鯔の肉が臭くなってしまったのである。鯔は人間の汚
染の犠牲になった訳だが、その代わり人間の食料となる災いが減ったということには
なる。鯔はずいぶんと複雑な思いでいることだろう。
その鯔は冬は産卵のため沖合に出る。暖かくなると一族を引き連れて、また沿岸
へやってくる。そして、河口で例の高々としたジャンプを披露する。この句は、そうした
鯔の生態を踏まえている。もっとも私の知識は机上で得たもの。海を友とし海を生活
の場としてきた作者が読んだら、何も解ってないなと笑うかもしれない。しかし、この
度の大震災の災禍に、高齢にしてすべてを失いながらも、なおも明日へ向かう生き
る力が、この句の「つばさ」に込められていると読むことは、まずは間違っていないだ
ろう。一日も早く、また海辺で一族共々充実して暮らす日の来ることを、ひたすら願う
ばかりだ。
最果てを光としたり初明り 冨所 大輔
「最果て」をどことすべきか、いくつかの読みが可能である。初明りが見えてくる方
角は東だから、その方向を最果てと受け取って鑑賞することも可能だろう。私は、こ
の句の最果ては、まず、自分が住んでいる場所そのものと受け取った。極東という言
葉通り、日本は世界の一番東にある。もっとも、これもヨーロッパを世界の中心とす
る権威的な考え方が下敷きとなってはいる。その最果てである日本に初日が差し、
そして、日本が光そのものとなったというのである。同様に日本という狭い国の中で
極東を考えるなら、これは間違いなく、陸奥と呼ばれた辺土ということになる。この句
の発想の源には、たぶん、このたびの大震災がある。俳句で、もし被災地にエール
を送るなら、この句のようにあるべきだと改めて思った。
着膨れて此の世せましと思い居り 遠藤のぶ子
戦死者の累累雪の金色堂 俘 夷蘭
氷点のおおお牧場は放射能 遅沢いづみ
初景色塩水の田も休み田も 水戸 勇喜
いずれも諧謔と批判精神十分の反骨ぶり。一句目は、炬燵に居ても、この世のこと
はすべて解るといった巧まざる高邁ぶりが楽しい。二句目は千年前のみならず、現
在も増え続けている戦死者を視座にしてのもの。永劫の平和を希求して建てられた
金色堂の悲願は未だ遠いのだ。三句目、四句目の原発事故の句は、その強かさに
感銘するばかり。
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