2012 VOL.28 NO.323 俳句時評
ことのは311
大 場 鬼奴多
東日本大震災から間もなく一年。朝日新聞の電子版「朝日新聞デジタル」で、日本の現
代詩を代表する吉増剛造や谷川俊太郎ら十二人の詩人たちが、自作の詩を朗読する「こ
とのは311」企画が始まった。大震災は、言葉のみで作られる詩の世界の地軸をも強く揺
さぶった。詩人たちは、震災後の世界とどう対峙し、自らの仕事や役割をどう位置づけて
いるのだろうか。
福島で、震災五日後からツイッターで詩を発信し続けた和合亮一は、相馬市松川浦の砂
浜で「廃炉詩篇」という新作を朗読した。そのときには瓦礫でいっぱいだったであろう浜に、
詩人の決然とした声と波の音が混じっていた。
記憶の真ん中で奪い去られる堅牢な日常
靴の中で遊ぶ何千もの子どもたちの影
誰もいない湾岸道路のまばらな林で
火だるまになったフクロウの影が
ヌレネズミになったミミズクの影を追い抜くと
かつて煙をあげた発電所ではイメージの廃炉が
さらに進まなくなっていく (抄)
一方、現代詩の最前線を走り続けてきた吉増剛造は、北海道石狩川河口近くの深く積も
った雪の上で「詩の傍で」を朗読した。荒涼とした風景に七十三歳の肉体を置き、「歌をッ」
「うたッ」「うッ」「なッ!」……。と詩句をふりしぼる。
ルー、白狼、遠くから、かすかに、本当の声が、聞
こえて来て居た、、、リクゼンタカタノ砂山の蔭、、、
、、、巨キ倶、掻く手ガ、ハタライテ テキゼン、
ジョーリクガ、宇! ッ、ッ、ッ
囓ンダ、、、兎!巨大な静カサノ、宇! (抄)
この吉増は、昨年、岩手県陸前高田市を訪ねている。ブルドーザーが大きな手で瓦礫を
掻き出していた。その時、それらは名付け得ぬものであり、撮影したり表現したりしてはい
けないもの。ただ頭をさげなくてはいけない。そんな声が聞こえてきたという。底深いところ
に音の精霊が潜んでいて、毎回、異なる光が寄せてくる。絶望的な荒涼たる風景を何度も
みて、地下世界を巡らないといけないと指摘する。自分の言葉を粉々に打ち砕き、全く別
の声を出す。たとえ難解といわれようと詩がやらないといけない仕事だというのだ。
これに対し、谷川は、震災後も普段のように詩を書く。今までの生活を地道に続けるのが
大事だという。震災後の世界で、詩がそれほど役立つとは思っていない。詩は無駄なもの
、役立たずの言葉。詩を書き始めた頃から言語を疑い、詩を疑ってきた谷川らしい言い方
だ。詩という言語のエネルギーは素粒子のように微細なのだ。詩を読んで人が心動かされ
るのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているからで、詩を作る欲求とは言語以前の
ものに言語で触れたい、ということなのだそうだ。
きちんと見せてね、と
子らがのぞむなら
うしなった真昼において
発せられた憧憬が
決して、たやすくない
ならば息をする
それ以上の意味があるだろうか
幼いお前が息をする
それ以上の意味はあるか (抄)
練馬区桜台にあるライブハウス。薄暗い照明に詩の言葉を静かに浮かべるように、「音
紋」を朗読するのは三角みづ紀。十二人の詩人のうちの最年少の三十歳。
詩人とは、その言葉の濃度と純度が著しく高い人種のように思えた。震災のあと、詩の
言葉がにわかに注目を集めた。繰り返し流されたACのコマーシャルのなかでも金子みす
ずの詩は、賛否はあれ、多くの人の耳に残った。
詩は人間の感情を瞬時に揺らし、惑わす力があると語るのは、小池昌代。誰かのために
何かしたいという思いが「丘」という詩になったという。
春の泥水を浴びて生きる
馬の首が乾いていた
米のなかに
祖母の泣き顔
一粒一粒拾って食べる
また、漬物、つくってください
重い鉄鍋、洗わせてください
小鳥の餌、やってください
春の泥水を浴びて生きる
馬の腹に家並み見えた (抄)
本稿の〆切が迫って、未配信の詩人たちの朗読作品を待つことはできないが、詩人たち
の声に耳を傾け、言葉がそのまま胸に飛び込んでくる感覚を味わうことが新鮮だった。今
朝も、通勤途中のiPa dやiPhone で、ふと再生した読者の驚きや戸惑いを想像すると、
何だか楽しい気分になってきた。
映像で伝えられる3・11後の世界へと発せられる詩人たちの肉声とその姿。新聞の限界
を越える言葉の爆弾が、電子新聞に隠されているのだ。
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