2012/4 bR23 小熊座の好句 高野ムツオ
東日本大地震から一年が過ぎた。さまざまなことが、この間にもあった。復興の声
も聞こえてきてはいるが、正直なところ、時間は、その日から未だ止まったままのよう
で、何ともやりきれない思いは変わることがない。いやそれどころか、やりきれなさは
募る一方といった方が的確だろう。はっきりしているのは一つ。もはや昨年の三月十
一日以前には誰もが戻ることができないということである。この災禍は、すべての人
に、自らと自らを取り巻く世界のあり方を改めて問い直すことを突きつけた。俳句とい
う小さな詩にあっても、それは免れないことだ。俳句とは自分にとって何であるかを、
そこからやり直さなければ、俳句を作る意味さえ失ってしまうことになるだろう。答え
は一人一人が自分に用意するしかないし、その問いかけは、一生を終えるまで続くも
のとなろう。震災以後を生きるとは、そういうことなのである。
野葡萄や死ぬまで続くわが戦後 佐藤 鬼房
前置きが長くなった。句の観賞に入ろう。
人間に言葉春泥には光 松岡 百恵
土の会で目にした作品だ。本人の弁によれば、この句は被災した子供たちの作文
を目にしたことから発想されたということだ。「 多くの言葉は春泥の光に及ばない。
でも、春泥の光に迫る子供たちの言葉に出会ったから、この句が生まれた 」のだそ
うだ。一児の母として、日々の子の成長を見届けている若き女性らしい思いといえよ
う。
当日の私の観賞は、確か春泥の光の方にウエイトがかかっていたと覚えている。
人間には言葉がある。それと同じように春泥にも光がある。どちらが雄弁に自らを語
り得ているか。それは春泥の光にあるといった内容だったと思う。震災前に観賞した
ら、もしかしたら人間の言葉と春泥の光を等価として観賞していたかもしれない。しか
し、今の私には、どうしたって春泥の光の方が人間の言葉よりも、より自らを語って
いるように感じられたのである。しかし、これは、つまるところは百恵さんの発想と矛
盾するものでは決してない。自ら光ることができない人間が、苦心の末、奇跡的に編
み出したのが言葉という方法であるからだ。言葉は論争をするためにでも、食い物の
やりとりするためにでも生まれたのではない。自らを光らせるためにのみ言葉は存
在する。詩の言葉とはそういうものなのだ。もう言うまでもなかろうが、その力と春泥
の光の力の軽重を云々するような私の観賞は、この句の本質とは何の関わりがない
ことだったのである。
これが最後これが最後と梅香る 水月 りの
雪解けに喜々と鳴子のこけしかな 遅沢いづみ
永き日の有刺鉄線より孤独 関根 かな
春愁がジンジャエールに滲みたり 千葉 由穂
流氷が来ていた真夜中の廊下 山本美星子
末尾の二人は二十歳。古川修治君も同年齢。継続に期待。
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