2012/6 №325 小熊座の好句 高野ムツオ
水草生ふ古道はなべていくさみち 阿部 菁女
五十年ほど前までは、古代の道はほとんどが小径や獣道で人がやっと通れるほど
のものと考えられていたようだ。しかし、近年になって、飛鳥から奈良の時代に、もっ
と広い道路がしかも計画的に作られていたという説が有力になり、それを裏付ける発
掘も進んでいる。六メートルの、所によっては十二メートルも幅がある道路が作られ
ていたというから驚くばかりだ。目的はさまざま。租庸調などの物を運ぶためはもち
ろん、情報の伝達にも必要だっただろう。しかし、何といっても人間の移動が第一だ
った。それも戦士。大勢の戦士をできるだけ早く運ぶためには、それなりの道幅が不
可欠となる。辺境まで侵略制圧するには、道の開発が何よりも優先されたに違いな
い。
わたくしは辵に首萱野分け 澁谷 道
これは自分の名前の「道」を発想の契機としたものだが、道は、その漢字自体が首
を掲げて歩むという意からできている。古代中国では戦さへ行くに敵将の首を魔除け
として先頭に掲げて進んだのだ。自分の領地を柵で囲い、その出入り口に敵の首を
ぶら下げたという説もある。いずれにせよ「道」はそのまま「いくさみち」に他ならない。
あらゆる文化文明がなべて戦争という悲惨を母に生まれてきたのは、笑えない事
実だが、人間の愛や幸福を運んだ道も、その例外ではないのである。
この句は、その端の小流れに揺れる水草に、そうした遙かな時間へ思いを寄せて
いるのだ。
国防という色のあり山桜 土屋 遊蛍
これも戦争がモチーフ。国防と山桜の取り合わせは、辻褄が合いすぎるという見方
もあろうが、やはり動かない。国防色とはもともとは陸軍が一九三四年に帯青茶褐色
をそう規定したものだ。その後、帯赤茶褐色つまりカーキ色などもそう呼ばれるよう
になった。戦争意識を堅持するための色である。しかし、国防色にはもう一色ある。
いうまでもなく桜色だ。
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花 本居 宣長
の歌が原点。愛国心を美化する歌として喧伝された。特攻隊の部隊名が敷島隊、大
和隊、朝日隊、山桜隊という美名であったことは、今となれば、むごいとしかいいよう
がない。戦争は美意識さえも歪曲し悪用し破滅へ追い込む。
この句は、けっして懐旧の句ではない。そうした時代への批判と二度と繰り返すま
いという意志の句である。
行く春の鳥の目魚の目に瓦礫 松岡 百恵
この句は
行春や魚啼き鳥の目は泪 芭蕉
を下敷きにしている。芭蕉の句も陶淵明の詩を元に生まれた。旅立ちに当たっての
別離の情が、ここでは大震災の悲しみに生まれ変わっている。瓦礫をなさない鳥や
魚には、さて瓦礫はどう映るのであろうか。
このところ小熊座集が充実している。作品の数もさることながら質が上がっている。
同人も私もうかうかしてはいられない。
原点はわが血潮なり藪椿 大久保和子
桜散る内なる海を展きつつ 佐藤 茉
うぐいすや心は被曝してをらず 花房 幸道
病むといふことは休息冬の薔薇 尾形 昭子
尾形さんの作品も花房さん同様、震災がモチーフだ。病さえも休息と考える心のた
くましさが源にある。
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