2012/7 №326 小熊座の好句 高野ムツオ
繭を煮る見ぬ世の母らいざり出て 阿部 菁女
同じ人の句を二度続けて、しかも冒頭に取り上げるのは、あまり褒められたことで
はない。 が、私が書きとめておきたいこととも関わるので、あえて俎上に載って貰っ
た。
「繭を煮る」というのは、繭から糸を取り出すに欠くことができない大事な過程の一
つだが、かつてはなかなかの難事でもあったようだ。繭を煮沸する時間や差し水をす
るタイミングなど、こつがあって、それが良質の糸となるかどうかの分かれ目でもあっ
た。さらに、糸繰り鍋と言われる繭を煮る鍋から座繰り機や足繰り機に糸を巻き付け
る作業がたいへんで、熱湯と繭の悪臭との闘いでもあったようだ。とはいえ、繭は、
貧しい農村にとってかけがえのない現金収入。どの家もかつては競って精を出した
のである。この句は、たまたま、養蚕のまねごとでもして煮繭をしていたときのものだ
ろう。その歴史に思いやると、かつて養蚕に生きた老母たちが目の前に浮かび出た
のである。「そんな煮方では、人間のために死んでしまうお蚕様がかわいそうだ。」と
でもつぶやきながら、あの世から出てきたのだ。
私がより共鳴したのは、母達の、この世への現れ方である。「いざり出る」は膝で進
むことだが、同時に足が不自由で立って歩けない人を指す差別用語でもある。本来
は卑下蔑視の意を含んだ言葉だ。 しかし、ここでは、それが、ひるがえって養蚕のさ
まざまな困苦まで想像させる効果をもたらしている。 生糸女工を描いた 「あゝ野麦
峠」は山本茂実のノンフィクション文学だが、その女工たちの老いた姿と重ね合わせ
て鑑賞することも可能だろう。
差別用語で思い出したが、かつて私は
穢多非人躄に跛寒夕焼 高野ムツオ
という差別用語だらけの句を作ったことがある。ある総合誌の発表作に加えたら、差
し替えの返事がきた。たいした句でもないので、素直に引き下がったが、差別用語が
使用禁止になるのはNHKぐらいにしておいてほしいとも思った。差別用語を詩語とし
て生かすこともまた芭蕉のいう「俗語を正す」ことにつながるのではないか。鬼房にも
「眇」や「てんぼ」を用いた佳句があるのは周知の通りだ。さらに言えば「みちのく」もま
た差別用語。差別用語を用いて、その世界の詩的優位性を主張することこそ、差別
され生きる側の人間の詩的営為として必要不可欠なことだろう。大震災とそれに伴う
放射能禍の今だからこそ、さらに強調したいことの一つであるので、ここに記した。
萬鉄五郎自画像に野火が立つ 越髙飛驒男
萬鉄五郎は岩手が生んだ画家。自画像は何枚も残しているが、こちらをにらみつ
けている絵がふさわしいだろう。野火が、その圧倒的な存在感を倍増している。
白亜紀の崖を労り青葉潮 千田 稲人
産土や胸冷ゆるまで卯波寄す 柳 正子
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