掲句を前にしてふっと思い出した。八年前、平成十六年十月だった。松島一の坊で開催
した第四十六回 「河」 全国大会席上で高野ムツオ小熊座主宰にご講演をお願いしたこと
を。演題は「佐藤鬼房の世界」だった。
「鬼房の俳句作りは、自分がいったいどんな人間か、何者であって、生きている間も、死
後もどこに行こうとしているかを俳句によって探ろうとしていた。今はやりの言葉で言えば
〈自分探し〉をしていた」という内容だった。
虜愁あり名もなき虫の夜を光り 『名もなき日夜』
蝦夷の裔にて木枯をふりかぶる 『地楡』
よるべなき俺は何者牡丹の木 『地楡』
蝦蟇よわれ混沌として存へん 『半跏坐』
そして掲句。鬼房は大正八年三月二十日の生まれ。まさしく「春曙」のころ。上五は陶淵
明の「帰去来の辞」の初句。鬼房時に七十六歳。鬼房の自分探しはいよいよ高じ、未生以
前の母胎回帰まで願った。過去世、現世、来世まで想念の世界はとどまることを知らず広
がっていった。
またの世は旅の花火師命懸 『愛痛きまで』
死後のわれ月光の瀧束ねゐる 『愛痛きまで』
鬼房の俳句は自在。鬼房の言う岩に爪掻きし、飛翔願望を貫き通した俳句世界は他の
追随を許さず一層輝きを増している。
(坂内 佳禰 「河」)
「帰りなん」は陶潜(淵明)の「帰去来の辞」に由っているが、わが国では「帰去来兮」を
「帰りなんいざ」と読んでいる。去来の二字を「いざ」と読むのは、日本書紀や万葉集以来
であり、菅原道真の伝説もある。それは夢の中で「去来」の読みを「いざ」と神から授かった
とする。陶潜のこの詩は、官を去り、田園に帰り悠々自適して天命を楽しむことを述べてい
る。
「春曙」は清少納言の『枕草子』の序章。「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは
少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」四季の美しさをみている。
「胎内」は子をはらんだ母親の腹の中。この三つの世界を鬼房が新しく複合したもの。時
に「観念的」とは俳句をバッサリ斬る常套句となっているが、そもそも文字は観念の抽象そ
のものである。例えば「木」「草」「虫」「星」に至るまで、さまざまな物はそれぞれ異った形象
をしているが、これらの具体的な名詞自体が、木なら木の一般を抽象しているのである。
鬼房の魅力は、実は通説とは逆に観念の取り合わせが成功したものに多い。つまり詩と
は人間の経験によるが、抒情も自らの観念を形成し、イメージや観念連合の対比にあるこ
とは知られていない。俗の観念を打ち破ること、これは詩の秘密である。『枯峠』の中に〈観
念の死を見届けよ青氷湖〉とあるのではないか。
(俘 夷蘭)