2012/8 №327 小熊座の好句 高野ムツオ
動くことだけ考えて舟虫は 上野まさい
昨年の大津波で二万人に近い人が亡くなった。死の重さは亡くなった数で決まるわ
けではないのだが、やはり、この厖大な数字には、一年以上経った今でも頭を垂れ
る以外に相対しようがない。もっとも、亡くなったのは人間だけではない。犬や猫のよ
うな愛玩動物から牛や馬などの家畜も相当な数に上るだろう。まして、野生の鳥獣、
そして魚、虫の数といったらどれほどに上るのか、見当もつかない。虫けらといえど
命、一瞬のうちにいったいどれだけの命が消えたのだろうか。まあ、こんなことにこだ
わっていると、酔狂もほどがあると、どこからか声も聞こえてはきそうである。しかし、
この句は、そうした虫けらの命というもののあり方を私に考えさせてくれる。津波の中
数限りない舟虫も懸命に這い逃げ惑ったにちがいない。むろん、恐怖や死は意識の
外、ただ本能にまかせるままではあったのだが。だが、その動くことにこそ舟虫の生
のすべてがあるのである。魚は泳ぐこと、鳥は飛ぶこと、そこにのみ生のすべてがあ
る。そして、それは動く力の持たない植物にもあてはまることなのだ。
青空や花は咲くことのみ思ひ 桂 信子
姫皮を炊いてふるさと眠そうな 土屋 遊蛍
「姫皮」は竹の子の穂先に近い、柔らかい部分を指す。煮物や味噌汁の具として重
宝される。竹の子にしか使わないから歳時記に載っていてもよさそうだが、私が調べ
た範囲では見当たらない。字面といい音といい、魅力的な言葉と思ったので、私も一
句作って見た。
存えん姫皮を剝き毛を毟り 高野ムツオ
遊蛍の句が純朴なノスタルジーを醸し出しているのに対して、私の句は、老人の妄
執芬々で、大方の顰蹙を買いそうである。まあ、これも鬼房譲りととりあえず師に責
任をなすりつけておくことにしよう。「季節の一つも探り出したらんは 後世によき賜と
也」は「去来抄」にある芭蕉の言葉である。
髭づらに母の句多し夏大根 水戸 勇喜
この句を読んで真っ先に脳裏をかすめたのは、先般亡くなった八田木枯の句集『於
母影帖』。端渓社版の限定二百部中、私の所蔵しているものの見返しには
両手あげて母と溺るる春の川 八田 木枯
が揮毫されている。言うまでもなく父母は詩歌の重要なテーマだが、それを長年追い
求める執念に怖れ、かつ羨望したものであった。掲句、母を恋うのは、無骨な男のみ
の専売特許ではないが、こう表現されると子が野卑野蛮であればあるほど、母恋の
繊細な感情があふれてくるから不思議だ。「夏大根」の辛さが、さらに味わいを深めて
いる。
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