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 小熊座・月刊 
  


   2012 VOL.28  NO.328   俳句時評



          俳句と生きること

                              渡 辺 誠一郎


  四月と六月、仙台文学館では、短歌と俳句についての「震災詠を考える―被災地からの

 発信」の企画が開催された。
東日本大震災から早や一年が過ぎたが、改めて短歌と俳句

 の震災詠を考える機会となった。いずれも、歌人・俳人による「自作朗読とメッセージ」と仙

 台から発行されている
新聞、『河北新報』の「歌壇」・「俳壇」の選者による対談の二部構成

 である。この企画を通して、短歌や俳句という表現のあり様はもちろんだが、生きていくこと

 とは何かと
いう、まさに「命」がテーマの主役であったように感じた。

  俳句の第一部では、東北の被災地(この言葉のあいまいさに困惑する)に住む四人の俳

 人による自作の俳句朗読と
メッセージが披露された。しかし、それぞれの体験と俳句の表

 現とには、いまだ完結しえない現実と心の揺れに、ど
こかもどかしさが付きまとっている印

 象をぬぐい切れな
かった。被災から時があまり経っていないことや、聴き手の方も、俳句

 やメッセージと自らの生々しい体験とを重ね、感極まる場面がそれを象徴していたように思

 われた。

  一方、「新聞俳壇」の選者である西山睦氏と高野主宰の対談では、被災者が言葉に向き

 合うことで、俳句が大きな
力になったこと。生きることの力が俳句に向かわせ、そして俳句

 からさらに生きる力を得ることが出来たのではない
かと、改めて俳句の持っている力を認

 めることができたと
の話があった。

  一方、これに先立って行われた、短歌の集いでは、やはり、『河北新報』の歌壇選者であ

 る花山多佳子氏から、「こ
ういう場合に何で選をするんだろうとすごく疑問を感じました。」と

 の言葉が。同じく佐藤通雅氏の、「これだけの
震災があって、ひとりひとりが生死の境目に

 いたわけで
しょ。歌のよしあしがどこにあるのか、今回ほど選者という立場をうらめしく思っ

 たことはありません。」(『短歌研
究』二〇一二,七月号)との言葉が強く印象に残った。被

 災にあってもなお数多く寄せられる震災詠の作品を前に、震災詠とは何か、選の意味、新

 聞歌壇の役割などについて、
選者としておのれ自身をも誠実に問う姿勢に共感した。

  ところで近頃、小林一茶を取り上げた、金子兜太氏の『荒凡夫』(白水社)を手に取った。

  「荒凡夫」とは、一茶自身を指す言葉である。兜太氏はこれを「人間は本能のままに生き

 ること」の意味に捉えて
いる。「荒」は「荒々しい」ということではなく、「自由」の意味である。

 それゆえ、荒凡夫は「自由で平凡な男」と
いうことになる。しかし自由やむき出しの本能だ

 けでは社
会では通用しない。社会とさまざまな軋轢との折り合いは、すべての生き物、そし

 て物すら同じ一つの世界に存在
するというアニミズム的な「生きもの感覚」を持っている

 らこそはじめて可能になる。この感覚は俳句などによっ
て、さらに美しい世界を作り上げら

 れる。

  金子兜太氏は、大正八年(一九一九年)生まれ。現在九十二歳だが、なお現役そのもの

 活躍はわれわれの知ると
ころ。この著作では作者の戦中戦後、そして現在までの俳句遍

 歴を辿りながら、おのれ自身の生き方をも重ね合わ
せ、自らの生き方の理想としての、荒

 凡夫の姿を開陳して
いる。

  作者は、一茶が六十歳を迎えた時の作品、〈まん六の春と成りけり(かど)の雪〉の前

 書、 「げにげに諺にいふ通り、愚
につける薬もあらざれば、なを行末も愚にして、愚のか

 は
らぬ世をへることをながふのみ。」に共感を寄せる。この言葉には、一茶の生きることへ

 の生々しい覚悟が込められ
ている。言葉をかえれば、まさに、「煩悩具足・五欲兼備」を肯

 定する、自らを「愚か」のままに受け入れる姿勢であ
る。ここに、一茶の俳句に向かう「美し

 い本能」が見える
という。一茶は三歳の時に生母に死別し、経済的にも恵まれなかった。さ

 らに、待ち望んでやっと生まれた子を次々
に失い、晩年には中風を患うなど、労苦は生涯

 絶えなかっ
た。作者は、この一茶の過酷な人生を支えたのは、生涯二万句にのぼる俳句

 であったと次のように述べている。

  「俳句を作ることによって「美しい」世界に触れ、そのことで自分を救おう、支えようとして

 いたのではないか。
そういう働きがおのずからあったように思います。いまのインテリのよ

 うに、意図して、無理やり苦労して美しいも
のに触れようとするのではなく、生活のなかでお

 のずから
そうなっていたのだと思います。」

  これは、先に述べたような新聞の歌壇や俳壇に寄せた多くの被災者の姿に重なってくる

 ものだ。


  さらに一茶の、〈何桜かざくら(ぜに)の世也けり〉を引きながら、「景色の罪人」と呼んだ

 ことにふれる。つまり季題を詩歌の伝統の延長上において、単純には美しく捉えることはで

 きないという表白である。一茶は自ら「狗」や「馬」などの目と同じ視線とさえ言い切る。「雪」

 についても、生まれた奥信濃では、生活に支障のある嫌なものであり、嫌なものとして俳句

 に詠む。桜を愛でても、銭が頭から離
れないというのだ。

  一茶のこの「荒凡夫」という、まさにたくましく「生きる姿」は、震災後のわれわれの生き方

 に様々な示唆を与え
てくれるように思える。

  前にも述べたことだが、震災後、中村草田男の〈玫瑰や
今も沖には未来あり〉の世界は

 遠い世界のことになった。
さらにわれわれは歴史を超えた半減期を持つ放射性物質に

 われた今日、言葉そのものを改めて洗い流すところから
はじめなければは現実を掴むこと

 はできないところに立っ
てしまった。われわれは、まさに一茶のいう「景色の罪人」を強いら

 れているところで、生きざるを得ないのではない
のか。『荒凡夫』の一茶にふれてそう一層

 強く思った。

  他方、一茶には、〈花の陰寝まじ未来が恐しき〉にあるように、農民でありながら不耕徒

 食の身への罪の意識を強
く抱いていた。さらには、〈けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ〉に

 あるような、国際的な視野を持たざるを得なくなり
つつあった江戸末期の時代感覚も敏感

 併せ持つ、単なる
野の俳人ではなかったことを忘れてはならない。




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