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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (25)      2012.vol.28 no.329



         生きて食ふ一粒の飯美しき            鬼房

                                名もなき日夜』(昭和二十六年刊)


  この句は第一句集『名もなき日夜』に収載されている。
二十代のときの私は次のような句

 を愛誦していた。

   吾のみの弔旗を胸に畑を打つ

   胸ふかく鶴は栖めりきkao kao と

 鬼房俳句のヒューマニズムに惹かれていた。

  掲句は戦争中の俳句のようで、そういう背景の上に読むと、安易な鑑賞などできないと思

 う。「生きて食ふ」とはなか
なか言えない。一見甘い言葉の「美しき」も、ここでは厳しく哀し

 い。この句は東日本大震災を経験した私に新たな
感慨を持って迫ってくる。それは「一粒

 の飯」を凝視する
時代があったこと、そしてこのように詠む人間がいたことである。ここに

 は技巧を超えた言葉それ自体の重みがある。
俳句に刻み付けることで生きていることを確

 かめている。

  リルケの『マルテの手記』に「人は一生かかって、・・・そうしてやっと最後に、おそらくわず

 か十行の立派な詩が
書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。・・・詩はほんと

 うは経験なのだ」とある。このような言葉は鬼
房氏にこそふさわしい。

  現代は食べ物も電気も、人はあればあるだけ消費してしまう。家に「吾唯知足」(われ、た

 だ足るを知る)の四字が描かれている古い皿がある。普段は意識していなかった禅語だが

 今こそ心せねばと思う。

                                      (永瀬 十悟「桔槹」)



  前書きに「濠北スンバワ島に於て敗戦」とある作品の中
の一句。佐藤鬼房は、昭和十四

 年七月、徴兵検査、第一乙
種合格の日から、昭和十六年十二月、太平洋戦争に突入。

 和二十年八月に終戦を迎えるまでの約六年間を兵役に従
事された。元々、勝てる筈のな

 い大国との戦いであった。

  戦争をする空しさから解き放たれたものの、敗戦国の兵士としての不安や恐怖感から免

 れ難い捕虜生活も体験され
ている。卓上の白い飯を朝の光の中で食べるひととき、飯

 一粒一粒から望郷の念が込み上げる。故郷では、青田の
広がる季節だろうか。

  生きている者には、戦死された人々への責任があり、戦死者の魂と共に祖国の土を踏

 む、という強い信念。更に、
家族の許に帰らんとする明るい希望とが、「生きて食ふ」一行

 にみなぎり胸を打たれる。中七以後の措辞、ことに、「美
しき」の言葉からは、外地のごは

 んがいかにも美味しそう
に、きれいに表現されており瞠目する。これは、佐藤鬼房の、俳

 句を読む者への優しさであると同時に、目的の見えない捕虜生活での中で、自己を鼓舞す

 るための修辞ではな
かったか、と想像するのだが、深読みに過ぎようか。

  掲句から、「生きること」への断乎たる意思が伝わり、人生を歩む上での大きな勇気を与

 えられていることに改め
て気付かされた。生命の讃歌として、佐藤鬼房の魂は永遠なので

 ある。

                                              (上野まさい)





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