2012 VOL.28 NO.330 俳句時評
もののあはれ
大 場 鬼奴多
国際俳句交流協会の発行する会誌『HAIKU INTERNATIONAL』が平成九年の創刊
以来、今年7月で101号を数えた。この101号と102号の巻頭では今年度の現代俳句大
賞を受賞した、比較文学者の芳賀徹氏による「もののあはれの一系譜―小さきものに輝く
いのち―」と題する総会での講演記録が掲載された。
もののあはれというのは、日本人にとっては一番深く、強く、今なお伝わっている感情
であり、思想であろう。あるいは、想念であろうと思っております。生の営みの実相と観
照。それこそがもののあはれを知るということなのだろうと思っております。そのような
感覚に即した詩的、宗教的な洞察として、もののあはれはいつも日本人の世界観の底
流をずっとなしてきたのだろうと思っています。
氏はひとつの肯定的な「もののあはれ」の感情の最も見事な表現として、志貴皇子の歌
を挙げている。
石激る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも (巻八・一四一八)
巌の面を音たてて流れおつる、滝のほとりには、もう蕨が萌え出づる春になった、よろこ
ばしい、というのである。茂吉の言葉を借りれば「歌調が明朗・直線的であって、然かも平
板に堕ることなく、細かい顫動を伴いつつ荘重なる一首となっている」志貴皇子は天智天
皇の第七皇子で、次の天武天皇にかわるちょうどその時期に壬申の乱があり、その中に
巻き込まれて非常に不安な、命にかかわる状況に接しながら生き長らえた皇子。何でもな
い野の草の春を告げるけなげな姿。それは小さな素朴な草であるだけに、一層強く、切実
な、生命の訴えを感じ取ったのだ。
自然に直接触れて、その自然の中のかすかな動きに、自分の体と心、全部を貫くよう
な喜びを見出し得る。どんな津波が来ても、地震が来ても、やはりこの心は我々の中
から消えることがない。そういうことを伝えたいものだと思います。
それから、氏は俵屋宗達の「枝豆図(月見豆)」に触れて、その枝豆が伸びていることの
うれしさと、背後に上って、枝豆を遠くから差している月の涼しさに見る、もののあはれをい
う。どこかに月の光が淡く漂っているのか、ただ薄い墨のたらしこみで半ば透き通るような
まるい葉と実としなやかな茎と枝をあらわしただけの枝豆の一本、あるいは一本半。描か
れもしない地面に生えて立っているだけの絵だ。そうして、次は芭蕉の句に及ぶ。
明ほのやしら魚白き事一寸 芭蕉
『甲子吟行』桑名海上からの嘱目吟、はじめは「雪薄し白魚しろき事一寸」と詠んだ。
印象が統一され過ぎるとして「明ほのや」とした。白魚の白さはより鮮明に、清冽さを増
す。「明ほの」とした途端に冬から春に一遍に動いて、春の夜明けの空と海。その朝の
光を一点に集約して、芭蕉の手のひらにはねる白魚。一寸の小さな姿の中に凝縮され
る生命。
山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉
よく見れば薺花咲く垣根かな
小さいかすかなものの中に動いている、生命に対する日本人の非常に鋭い感受性。
そこに感じる不安や喜びが『万葉集』以来、『古今集』、『新古今集』、そして『和漢朗詠
集』、芭蕉、蕪村、晶子、啄木……とつながって生きている。小さいもの、いとけない、
痛々しいほどに懸命な姿、それに心を動かされる詩人たち、画家たち。それが日本の
一番深い、芸術の伝統というだけでなく感情の、そして思想の伝統ですね。
私たちはこの国の国土と風景に一体何をしてきたのだろうか。子供たちがこれからを生
きる国と、世界全体の姿をどう捉えたらよいのだろうか。自分の足で歩き、自分の目で見
た風景から喚起し発想し、見失いつつある自然の豊かさ、すばらしさ、大切さについて考え
ることを求めなければならないと思えてきた。私たちは次元を隔てた人と人との交感の仲
立ちとなり得るのか。
今、20世紀を通してずっと動いていた物量主義をようやく超えようとする21世紀にあ
って、このもののあはれ、ものははかないものである、不確かなものである。不確か故
に不安なものである。人生もすべてそうである。そういう考え方がこれからは普遍性を
帯びていく。この日本から発信する思想としては、それは非常に大きな意味をもつので
はないだろうか。
台風17号が首都圏を襲った嵐の晩に、雨を落としている雲の切れ間から、完全にあきら
めていた中秋の月が二度三度と、数秒単位で現れては消えた。その位置と姿ははっきりと
思い浮かべられるのだが……。遅くなって外に出たら、風になって白い雲が流れ、中天に
眩しすぎるほどの月がかかって、今年初めて東の地平近くにオリオンが昇っているのを見
た。
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