2012/11 №330 小熊座の好句 高野ムツオ
死ぬまでは歳をいただく吾亦紅 上野まさい
俳句は、これまで、その方法原理について写生、写実、心象、造型など、さまざまな
言われ方をしてきた。それを踏まえてなお、かなり乱暴かつ端的に、その原理を指摘
するなら、俳句は言葉で作るということと、その言葉自体が現実世界と切っても切れ
ぬ見えない糸でしっかりと結ばれていなければならないという二点に尽きるといって
いいだろう。見えない糸は、作り手の現実と言葉とを行き来する心のありよう如何に
よって長くなり短くなり、そして、切れたり、再度結びあったりする。その糸はいくら長く
とも、いくら切れそうであってもいい。しかし、確実に緊密に結びあっていなければ、
言葉を共有する読み手の共感は呼ばない。
これもまた、大震災を契機に改めて確認できた一つである。写生は、言葉と現実と
が、あたかも、そのまま重なりあっているように見える次元に詩を求める方法であり、
造型は、現実があたかも言葉によって組み替えられているように見える次元で表現
が完結している方法である。その両者には、それ以上の方法上の違いはおそらくな
い。
掲句は、人間が一生の間に生きる時間という、目には見えないが、確かに、そうで
あるものを言葉で見て取ろうとしたものだ。誰もが共有する時間そのものを、眼前に
立つ一本の吾亦紅として見せてくれている。そこに、現実と言葉を見えない糸で切り
結ぶ、見えない火花が飛び交っている。
知られざる絶滅もあり秋麗 増田 陽一
この句も、ある一定の時間を切り取ったもの。しかも「吾亦紅」の句以上に現実世
界との接点は希薄だ。しかし、それでも、この句の世界が、現実と離れがたく結びつ
いているのは、「知られざる絶滅」が誰の目にも厳然たる事実であり、同時に、こう表
現されて初めて再確認できたものであるからだ。しかも、慄然とすべき類推も呼ぶ。
例えば、人間自身が、これまで、どんな絶滅を人間世界にもたらしてきたか。絶滅し
た国、種族、言語、今となって知る由のないものがあまた存在していたはずだ。
トタン屋根あまねく灼けて後平和 浪山 克彦
誰も気にもとめない寸景。それが、かけがえのない景であるという。ここにも詩的現
実の発見がある。
鏡には映らぬ傷や蟬時雨 関根 かな
この「見えない傷」も言葉が現実をもがきながらサーチしたゆえ見えてきたもの。そ
れは、次の「皮膚に囲まれた体」という実に当然すぎる、しかし、間違いない命のあり
方の発見にも、言えることだ。
十六夜や皮膚に囲まれたる体 千倉 由穂
次の「桃の香」は、生きている今が、否応なく、死の世界と密接につながっていると
教えている。
桃の香や今も不明の死者の数 大友セツノ
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