『名もなき日夜』は鬼房氏の第一句集。昭和二十六年の出版なので、十代から三十四歳
までの作品ということになる。かなり大人である。時代の影響であろうか、現在の青年の詠
む俳句とは着眼に大きな相違を感じる。責任感とか切実感とか、生きて有ることの問いか
けや迷いがある。しかし、作品は決して大人に仕上がっていない。むしろごつごつとした、
あるいはもたもたした感じを残している。
「二本の脛」とはなかなか使いこなせない言葉である。意味が強くこびりついていて、なん
となく躊躇してしまう。「たそがれと」と留めるのも甘さを残し、思いが付着する。このもたも
たした、すんなりいかない、うまくたちまわれないところに鬼房氏の心のありようがあるよう
な気がする。
鬼房氏は自分に内在する感性を引き出すところで自己を感得している。そこには生きて
きた歴史がある。それもかなり男くさい歴史である。だから、他の何かでは言いとめられな
い、成り代わることのできない、そこを譲るわけにはいかなかったのだろう。
スマートにかたづけられないところに鬼房氏の疼痛と確かな存在があるように思う。
(樋口由紀子「MANO」)
昭和二十五年、鬼房三十歳の作。翌二十六年刊の初句集 「名もなき日夜」 に収められ
た。「三十歳にて死せる父の齢に達す」という前書がある。句意がはっきりした作品であり
二本の脛とたそがれとしか残されていない自分の境涯をありのままに嘆き悲しんでいるよ
うに見える。若くして老成した感懐であるが、戦争によって健康はじめ何もかも失った時代
であり、父の早死にを思い合わせれば、三十歳にして早くも黄昏を迎えたと感じたのであ
ろう。それにしても、自立の壮年期だというのに徒労感だろうか絶望感だろうか、どうにも
切ない心情ではある。
「二本の脛」は、たったそれだけという裸一貫の象徴であると同時に、立派な二本の脚で
立ち上がる決意も込められているのだろう。しかし、けなげにも哀しい決意である。鈴木六
林男が跋文で「名もなき日夜」はかなしい句集である…と書いた通り、寄る辺なさと、貧しさ
と、戦争と悲傷続きの境涯が全句に結晶されている。「少年の頃はえらく感傷的だった」と
いう鬼房の述懐を聞いたことがあるが、センチメンタルな感情を厳しいヒューマニズムへと
高め、硬質の詩に昇華させようと努力した俳句人生だったように思う。この句に限らず自
伝的な日常を活写するにしても、詩的に、文学的に表現を凝らして普遍化する鬼房の俳句
手法は初期から既に確立されていたことに驚嘆する。
(阿部 流水)