2012/12 №331 小熊座の好句 高野ムツオ
駅裏の翅つき餃子秋の暮 我妻 民雄
「翅付き餃子」、一般には「羽根付き餃子」と表記する。餃子を焼くとき、水溶き片栗
粉を水の代わり入れて焼くと、餃子の肉汁を吸った膜が全体に張り付く。それが羽根
のように見えるので、この名がついた。ぱりぱりとした食感がいい。先がけはよくわか
らないが、ネットで調べると三十年ぐらい前の蒲田で、かつての大連の鍋張り餃子を
売り出したのが始めだとある。掲句は、「翅つき」と表記を変えた。どっちでもよさそう
に思えるが、しかし、もたらすイメージに大きな差がある。「羽根」なら、まもなく渡って
くる白鳥や雁が想起されるし、「翅」となれば、ここ数十日で死に絶えてしまった、あま
たの蝉や蜻蛉が思われてくる。家族団欒で食べるなら「羽根付き」、駅裏で焼酎でも
やりながら一人頬張るなら「翅付き」だろう。来年もあまたの蜻蛉や蝶に会える日を
楽しみに、また一つ餃子を口に運んでいるのである。
水鳥は水尾張りづめに神無月 大澤 保子
鳥が空を飛べるようになったのは、その骨格や呼吸能力や筋力の特徴のせいと言
われている。もちろん、その根底には、小さな生き物の生きるための必死の思いが
あったにちがいない。水鳥が水に浮くことができるようになったのも、体の構造や体
質上の特質によるようだが、もともとは外敵から身を守るための、不思議な力が細胞
の隅々に働いたためではないだろうか。人は夜に眠る。しかし、鳥には特定の眠る
時間はない。真夜中であれ、昼間であれ、少しでも安全と思われた時だけ眠る。生き
る時間すべてが、必死の時間なのである。この句の水面に絶えず消えては現れる、
張りづめの水尾は、そうした必死の時間そのものの軌跡なのだ。
このところ、小熊座集が充実している、同人作品よりもいいという話を何度か耳にし
た。言われて読み比べると、確かに佳作抄にはまったく遜色のない作品が並んでい
る。また、小熊座集は選が厳しく、初心者には向かないという声も聞く。小熊座集投
句者は多様で、例えば、次に句を取り上げた長尾登は、最近の投句者の一人だが、
かつては高柳重信の「薔薇」で、小熊座きっての女流佐々木とみ子と句作を競ってい
た人である。筋金入りだ。しかし、初心者も臆することはない。上田由美子は、亡き
大森知子の奨めで句を作るようになった一人だから、まだ句歴は始まったばかり。
それに、菅原みよ子のように卒寿を過ぎてなお大震災の災禍から復活し投句を再開
した人もいる。句歴や作品の善し悪しなどは二の次、継続こそ大切と教えてくれてい
る。
私もうかうかしてはいられない。
夜長し戦後を語り死後語り 長尾 登
亡き友に父の句のあり新松子 上田由美子
身の内の音となりては一葉散る 菅原みよ子
|