来世こそは一瞬の華やかさに賭ける花火師となり、旅から旅へ無頼の人生を送りたい。
頽齢多病の最晩年、佐藤鬼房が病床で夢見たのは、東北の質朴な風土や暮しとは対極
的な浪漫あふれる世界であった。郷里の福島県いわき市が被災しなかったら、そんな解釈
で十全だったかもしれない。 しかし、あの日から見慣れたものの見え方が一変してしまっ
た。言葉に別な意義が加わった。掲句の「命懸」という措辞の語意の深さをもう看過できな
いのだ。
有名な長岡の花火大会は町を焼き尽くした空襲による被災者の慰霊のために、その一
周忌として始まったという。鎮魂の祈りの花火を見上げ、残された人々は復興を誓ったに
ちがいない。今夏、東北各地で花火大会が再開されたが、夜空には人々の様々な思いが
交錯したことだろう。
花火は闇が深ければ深いほど輝きを増す。その深い闇を背負うのが花火師の宿命でも
ある。戦争の悲惨さを知る鬼房が進んでその宿命を自らに課そうとした。彼が打ち上げよ
うとした花火こそ、自身のためではなく他者のために生きようとする作者の思いの象徴で
はなかったか。そして覚悟の強さが「命懸」という表現になったのだ。東北の歴史はいつも
苦難と向き合ってきた。3・11以降それはさらに厳しさを増した。東北に膠した鬼房の言葉
の重さを心に刻み、受難の地の鎮魂と再生の明日へとつなげたい。
(駒木根淳子「麟」)
源太は旅の花火師だ。依頼人の願いを表現するために命を掛ける。原発被災の村から
声が掛かった。
「半分諦めて生活している。その半分を埋める花火を上げて欲しい」と、いう依頼だ。源
太は山に籠り、夜空に何枚もの絵を描き、それを表現する火薬を配合した。人間の半分を
回復する調合には危ない作業もある。源太の花火が夜空を染める日が来た。丸みを帯び
たものが幾つも夜空に描かれ、消えた。その内にそれは人体の一部に見えて来た。ふくよ
かな胸、太い腰、肉付きのいい脚、が踊るように形を表した。大きな目玉も見える。やがて
踊っていた部分が集まって一つの形になった。それは縄文の土偶だった。最後に大きい
目玉が飛んできて、顔の納まるべきところに、納まると、村人から歓声が上がった。その丸
まるとした土偶が現れては消え、現れては消えを繰り返すと、村人たちの気持ちは高ぶっ
ていった。やがてその高揚は原初の力に変わり、村人の眼が輝いた。源太はもう花火会
場にはいない。次の仕事先に向かっている。パッチを穿いて半纏を風に靡かせ、顔には哀
愁が漂う。源太もまた原初の力を求めて彷徨う。こうして源太は齢八十を迎え、病に襲わ
れた。源太は腕を組み舳先に立っている。前方には海が広がる。
ベレー帽、デニムのシャツ、青のジーンズに太いベルト、右手に杖、その鬼房の立ち姿
が旅の花火師にダブった。
(宇津志勇三)