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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (29)      2013.vol.29 no.333



         むささびの夜がたりの父わが胸に          鬼房

                                名もなき日夜』(昭和二十六年刊)


  むささびの鳴く夜、人里からも離れていて、その森閑。
亡き父の声が大地の神秘と重なっ

 て記憶に鮮明に刻まれて
いる、そんな解釈が成り立つ一句。

  以前から、この句に関しては「むささびの」で一息ついて読んでいた。「むささび」は、「夜」

 を修飾するのでは
なく、「夜がたりの父わが胸に」全体に、詩的喩として関与する、という読

 み方である。

  作者が胸に抱くのは、〈幼い頃の記憶〉。と同時に、自らが父となった作者が、まざまざと

 往時の父を胸に抱いてい
るという像も思い浮かんでしまう。みずから父となった男がかつ

 ての父を抱く、そんな倒錯めく印象は、「むささび」
のようにとらえどころなくやや伝説めいた

 気配さえただよ
うくくりあげにおいてもたらされる、という具合。

  ヨミのカタヨリ、それは、佐藤鬼房の句世界が〈父性〉によって貫かれていることを意識す

 る読者の恣意に基づく
ものか。「父」とは先行する「父」の位置に立ったときに初めて理解さ

 れるという先入観の所為なるか。あるいは、
俳句形式が潜在させるキレのもたらす業なの

 だろうか。

  ともあれ、「わが胸」における「わが」を、作者の個人的な郷愁というよりは、世界に向か

 いあい立とうとする自
恃のあらわれであると読んでしまうのは、作者の生き方のみならず、

 鬼房の作品に共通する文体に依るものではある。

                                          (山田 耕司)



  鬼房全句集の年譜を見ると昭和十二年の作と記されている。同年、晩秋の頃より東京下

 谷に寄宿、「句と評論」の
句会に出席とある。上京したこと、新興俳句の荒波にとびこんだ

 こと、戦時へ傾斜していく世情、それらに大きく揉
まれながら火のように己を燃やすにたる

 表現世界を弱冠に
して摑み得た確信と矜持が青年鬼房を奮わせたことだろう。当時既成

 俳句に抗して澎湃としてひろがっていた、いわゆ
る新興俳句運動は東京では松原地蔵尊

 の「句と評論」があっ
た。絶対権力に果敢に挑んで、風流を排し時代を直感し人間をうたお

 うとしたこれらの流れに鬼房の先天的な資質も
呼応し大きく共振していくこととなる。まさに

 鬼房十八歳
の多感な青春像の一端、異郷首都の枕辺に現れる父よ。東京暮らしから遠望

 して得た「陸奥こそ」のつよい想念を核
として持つに至っていることがこの句から想像され

 る。

  むささびは、各地の針葉樹林帯に生息して、ももんが、晩鳥などとも呼ばれ「夕遊びはも

 もんがに攫われる」などと親から言われ、子供心にも恐れおののいたものである。しかし夕

 闇の対山の大杉から真っ黒な風呂敷を広げて一直
線に滑空して来るむささびの容は、異

 界の雄志という他な
くその跡に急に展開する渓の星空の息を呑む美しさと共に忘れがた

 いものである。かくして、むささびは後年「枯峠」
への、〈むささびに逢ふべく夢の淵わたる〉

 に飛翔している。

                                          (須﨑 敏之)




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