2013 VOL.29 NO.334 俳句時評
俳句学習の可能性
大 場 鬼奴多
社団法人俳人協会が教師を対象に開催する「夏季俳句指導講座」は、二十余年の歴史
をもち、受講される教師たちが毎年熱心に研鑽を積んでいるという。先生方が俳句を指
導するにあたって、悩んだり、より楽しい授業はできないかと、苦労しているという声を聞い
たことがある。俳句の基本をきちんと指導しながら、どうすれば子供たちがいきいきと俳句
を作り、それら俳句作品を互いに認め合い、楽しい経験ができるのだろうか。
本稿は、大阪大学日本語日本文化教育センターの小林可奈子先生の報告を中心に、俳
句学習の可能性を考察してみたい。09年度・10年度春学期の授業。受講生の内訳は次
のとおり。09年はインド・ドイツ・韓国・スウェーデン・ポーランド・ベトナム六カ国計七名。
10年は中国・オランダ・リトアニア・スウェーデン・イギリス五カ国計七名。小林先生は担当
する上級作文の授業において、日本語での俳句実作と鑑賞を指導した。日本語で論文や
レポートを書くことを課される彼ら留学生にとって、俳句を作ることは必要不可欠な練習と
はいえないが、そのような科目を進んで受講するのは、それなりの興味を持つ学生であっ
て、必須の学習内容ではなくても、俳句に対する理解を深めることが、受講生の日本語力
を豊かにするのは当然だ。
先行文献にみる俳句教育の意義はこうだ。
① 日本語のリズムを知る
② 日本文化への興味を喚起し理解を促進する
③ コンテクストへ関心を持つ
字数が極端に短い俳句は、ハイコンテクストとされる日本語の中でもその特徴が最も凝
縮された形式だといえる。それ故、直接書かれていないことにも想像を広げ、一句を読み
とることは俳句の鑑賞上確かに大切なことだ。これらを踏まえて、小林先生が開講時に示
した授業の目標は次の四点。
① 俳句の感想を語り合い、鑑賞とコミュニケーションを深める
② 自作の俳句作品を形に残す
③ 類義語など、単語の意味、ニュアンスの違いを学ぶ
④ 俳句の実作・鑑賞を通して、日本文化における季節感に親しみ、互いの季節感を比べ
る
最初の授業は、時候・天文・人事・植物・動物各種の季語を各自で四季に分類してみて、
その後、答えを合わせることから始まった。二回目には俳句の構成を扱った。P型=一つ
の事物だけを描く構成。PQ 型=二つの事物を組み合わせる(=切れがある)構成。(P型
・PQ 型の用語は小林先生による)
P 初燕そらの鏡を割ってくる 安藤 涼二
PQ 新宿は垂直の街初燕 堀部 節子
構成の違いが納得できたら、次の三句を示し「意味の切れ目」があるか、あれば、どこに
あるかを考えさせる。
PQ メンデルの父もメンデル豆の花 塩見 恵介
P つばめ来る神話の笛を吹くごとく 中田 美子
P 鉄格子からでも吹けるしゃぼん玉 平畑 静塔
三回目からは、「今週の季語」として当季の季語をいくつか取り上げ、紹介を始める。読
み手は作者の意図を離れて、自由に鑑賞しうることや、読み手によって同じ句に対する解
釈が違っても構わないことも伝えていく。解釈に間違いや絶対の正解はないと伝え、五回
目以降の句会に向けて、自分なりの発言ができる雰囲気作りを心掛けた。実作に先立っ
ては、各々自分の俳号をつけるように指示した。
毎週の課題は次の二つ。
① 句会に出す俳句を一句考えてくる
② 読んだ俳句について合評前と合評後の感想を比較しながら書くか、日本と自国で季語
観の違いがあれば比較して書く(四〇〇字程度のレポート提出)
次の授業では、十二字の材料を探してから、それとバランスがよいと思われる季語を選
んで組み合わせるPQ 型の句作を指導した。
五月雨濡れた思い出忘れつつ(10年度)
「五月雨」と「濡れる」が重なって、二つのバランスが近すぎた。バランスがよいというのは
材料と季語との関係が重なりすぎず遠すぎず、程よい距離感があるとも言い換えられる。
両者は直接には関係ないが、組み合わせると通い合うという感じがすればちょうどいいバ
ランス。小林先生がPQ 型を推奨するのは、初心者が俳句を作ってありきたりに終わらず
一定のレベル以上の作品を生み出す可能性が、P型よりPQ 型の方が大きいから。
遠雷や涙を呑んで酒を飲む(10年度)
皐月雨古いアルバム開いたまま(10年度)
散文の日本語では、述語は文末に置かれ、補語は助詞で示される。それに対し、俳句で
は倒置が起こるし、助詞が落ちることも多い。
春の宵や沈黙を破る蚊の声(10年度)
揚羽蝶訪問してきた雨上がり(09年度)
これらは、五七五を意識して作っているが、語彙や構文面で折り合いがつかず、字余り
の句になっている。自由律に近い句もある。
汚れた足は水たまりに飛び込む(09年度)
一人部屋待ち人来たらず桜散る(10年度)
俳句学習の意義が文法面に関してもあるという仮説から出発して、その結果、助詞の序
列、そして句読点のない俳句において、つながりや切れを意識する点などに文法力の必
要性が見出された。アウトプットからフィードバックする度に「切れがあるか?材料は連続し
ているか?」という問いかけに、構文への意識も高まったように見受けられた。
論文や意見文とは異なった、詩的表現の教育の方向性が見えたように思えた。
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