2013/6 bR37 小熊座の好句 高野ムツオ
今年の蛇笏賞は文挟夫佐恵の句集『白駒』に決まった。氏は今年で九十九歳。こ
れまでの受賞者として最高齢である。この受賞は賞の性格を考えると異論もあろう。
私自身も、蛇笏賞はもう少し若い世代に与えるべきだと感じている。しかし、高齢の
俳人が、その加齢とともに作品世界をより豊穣にしている事実は確かであるし、その
領域の広がりに驚嘆の思いさえ禁じ得ない。もとより俳句は老人の文学、これまでに
は考えられなかった世界がいよいよ展開され始めてきたと言えようか。氏は終戦の
日には、三十二歳であった。同じ世代にも、さらにもっと若い世代にも戦地で命を失
い未来を閉ざされた人は多い。それらの魂がみなのりうつって、今日の文挟作品が
あるという思いにも駆られる。
小誌「小熊座」は三十周年が目前だが、鬼房を目指して歩んできた方々も、かなり
の高齢化を迎えている。中には鬼籍に入った方も居られる。しかし、作品はそれぞれ
に新しい世界を開拓してめざましい。
覗き見も花見の一つ車椅子 平松彌榮子
「覗き見」という言葉の斡旋が、これまでになかった花見のありようを眼前のものとし
ている。覗き見には二つのパターンがある。一つは狭い世界から広い世界をこっそり
覗くこと。もう一つは、その反対。小鳥の巣の中などを覗く場合などに用いる。この句
は、無論、前者だ。身動きが出来ない車椅子の世界から、天にあふれる桜を見上げ
ているのである。こう記せば、にわかに寂しさばかりが募るが、この句の主題はそう
ではない。もっと好奇心に溢れている。それは「覗き見」が幼い子どもの世界のもの
だからである。初めて知る大人の世界を、怖さ半分に垣間見るときめきが、この句に
もある。さらに私流に想像を広げると、まるで胎児が、これから出て行く世界のありよ
うを見ているかのようでさえある。おそらく、このような花見も長寿ゆえと、穏やかに
受け止めることができる作者ならではの心のゆとりが生んだ発想であろう。諧謔味も
たっぷり効いている。
最終の空気吸うとき山桜 篠原 飄
こちらは、もう少しナーバスでシリアス。どうも男性の方が、いざという正念場を思う
とき、女性よりそわそわしてしまうのかも知れない。私などは、もっとおたおたすること
甚だしいことだろう。「最終」は臨終のそれ。その時には、たぶん今相対している山桜
を思い出すというのだ。こうした心境で山桜を眺めるのも、年齢の深まりがあっての
ことといえよう。
臥してゐても句ができ友来さくら咲く 古山のぼる
こちらは、一見楽しそうではあるが、反対に孤独感が裏側に張り詰めている。ふと、
仙台文学館で展覧会を開催していた正岡子規を思い出した。
生き死にやまづ鉄壁の畦を塗る 水戸 勇喜
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