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 小熊座・月刊 
  


   2013 VOL.29  NO.338   俳句時評



         詩歌のちから

                              
大 場 鬼奴多

  去る四月二十六日、ムツオ主宰の講演が東京・青山のNHK文化センターであった。この

 講演は「詩歌のちから―
困難のなかから生まれたうた―」として、俳句を高野ムツオ主宰、

 短歌を歌人で国文学者の岡野弘彦氏、漢詩を中国
文学者の石川忠久氏、現代詩を詩人

 の和合亮一氏がそれぞ
れ担当し、四回にわたって開かれるというもの。案内のパンフレッ

 トには、「天災、人災、戦争などの大きな困難に
見舞われたとき、わたしたちはどのように

 《うた》をつく
り、困難と対峙し、乗り越えてきたのか。漢詩・短歌・俳句・現代詩という、その

 背景も歴史も形式も異なる四つの
詩のかたちをとりあげ、3・11以降の今の時代に、詩歌

 のもつ力を問い直します」とあった。

  国道246を挟んで、赤坂御所と向かい合うように建つ高層ビルの一室が会場だ。初夏を

 思わせる風が木々の緑を
揺らしている。講演が始まった。

  仙台市駅前の地下街で、教え子と少しおそい昼食をとっていたその時に激しい揺れを感

 じられたという。住まいの
多賀城市まで5時間かけて歩いて帰宅した。大津波が自宅200

 メートルまで迫っていた。自宅の窓から、炎上し
た仙台港のコンビナートが見え、空は一面

 真っ赤で、爆発
音が聞こえた。「これは俳句を作らなければいけない」と思ったそうだ。この

 恐ろしさを表現するのに季語はいらな
いと咄嗟に判断し、それを念頭にできた一句。

   四肢へ地震轟轟とただ轟轟と             ムツオ

  俳句は季語を使う。季語によって発想する。つまりは、季語が世界を広げることになるの

 だけれど、そこに収まり
きれない世界もある。

   天地は一つたらんと大地震              ムツオ

   膨れ這い捲れ攫えり大津波

  古事記の世界を通して、古代への思いが伝わってくる。

   地震の闇百足となりて歩むべし            ムツオ

  一句での「百足」は比喩であって、季語の意識はない。

  一般の人の俳句にもいい句がある。表現せずには居られなかった人々のギリギリの気

 持ちがこちらにも伝わった。

   瓦礫にも暮らしの匂い聖五月       仙台 渡辺  徹

   もうわが田無けれど稔る田に安堵    亘理 島田啓三郎

   若葉萌ゆ泣きながらでも生ぎっぺし    石巻 工藤 幸子

   開くたび墓標が見える揚花火       石巻 土屋 遊蛍

   あるがまま受入れ仰ぐ紅葉かな     東松島 岡田とみ子

  渡辺さんは30名を超える知人を亡くしたそうだ。島田さんはいちご農家。津波ですべてを

 失ったけれど、他人の
稔り田を見て、復興の足音と感じた。工藤さんは東北弁で云った実

 感。より心情が深く感じられた。土屋さんは自宅
メートル手前まで津波がやって来た。岡

 田さんは日本舞
踊の先生。

   滝音や死ぬときはベッドと言う少年   小牛田農林高 高橋 孝輔

   夏雲や生き残るとは生きること     黒沢尻北高   佐々木達也

   瓦礫がれきあまりに白し夏の雲     藤沢高      福井 蒼平

  高校生の俳句から、俳句は弱者の文学だということが改めて思い知らされた。生きる思

 いが俳句のあり方そのもの
なのだ、と。

   津波のあとに老婆生きてあり死なぬ        金子 兜太

   短夜の赤子よもつともつと泣け          宇多喜代子

   真炎天原子炉も火に苦しむか           正木ゆう子

   泥の中の繭のごとくに嬰と母            照井  翠

   サンダルをさがすたましひ名取川         高柳 克弘

  一句目は生きた人間の有り様が書かれた力強い一句。二句目は生命の尊さ。三句目は

 今なお収束を見ない原発。四句目は極限状況のなか詠まれた慟哭と鎮魂。五句目は歌枕

 ・名取川を眼前にして季語を忘れた、いや使うことがで
きなかった悲痛な一句。

  これら切実な句を見てくると、俳句表現とは現代に生きる経験でもあって、他の人には判

 らない、作者にとってか
けがえのない一句のあり方そのものなのだと思えて来た。震災を

 書き残すことは文学を志す者の使命ともいえる。事
実、歴史的にも多くの詩や短歌、俳句

 が詠まれてきた。大
災害であればあるほど、同時代の多数の人々が体験と記憶を共有し

 思いを深くする。課題があるとすれば、震災の
詩歌が詩歌自体として優れているかどうか

 ではないだろう
か。

   泥かぶるたびに角組み光る蘆             ムツオ

   瓦礫みな人間のもの犬ふぐり

   車にも仰臥という死春の月

   みちのくの今年の桜なべて供花

   みちのくはもとより泥土桜満つ

  尚、この講演は七月七日(日)午後八時からNHKラジオ第二で放送されます。





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