2013/9 bR40 小熊座の好句 高野ムツオ
青実梅わが代は誰もいくさ経て 浜谷牧東子
「代」という言い方には「世」とは違って、時代や世代といった、歴史の中の一区分を
指す意味がある。ここではわが同世代というぐらいであろう。自分と同じ世代は、みな
何らかの形で戦争を経てきたことへの感慨を述べた句ということになる。私が、この
句で、こだわったのは、こうした感慨には、自分以前の世代も自分以後の世代も、み
な戦争を経てはこなかったのとの思いが含まれていると感じたからだ。日清戦争世
代も日露戦争世代も、それぞれ戦争の足音の中で生きてきた。しかし、太平洋戦争
世代ほど全国民が戦争の渦中に生きて来たわけではなかった。まして、それ以後の
平和を存分に享受できた世代とは隔絶した思いの中で生きて来たのである。こうした
感慨は、いつ生まれるのだろうか。それは、自らの世代が次第に、しかし、確実に、
この世に別れを告げている今でしかないのだ。そういう意味では、この句の古めかし
くも感じられがちな戦争同世代への共感は、実にアクチュアルな思いということにな
る。私は、さらに、「わが代」という措辞から、「君が代」という言葉を連想する。そして
「君が代」とは、まったく別に「わが代」つまり、庶民の我らが代が存在していたのだ、
という批評も受け取るのだが、それは戦後団塊世代というひねくれ世代だけの読み
方で作者は預かり知らぬことであろう。
夏の雨学徒軍靴の他になし 越高飛騨男
同じように、今であるからこそ表現できる戦争世代の思いは、この句にも顕著であ
る。学徒に軍靴しかないとの認識は、物が欠乏していた戦時中には思いもよらなかっ
たことではなかったか。むしろ軍靴があることはゴム靴すらこと欠いた当時の庶民か
らすれば羨望であったといってもいいだろう。だから、この句は、物が有り余る現代な
らではの発想なのだ。雨靴さえ履かなくなった若者の色とりどりの靴が、夏の雨の中
を踊るように過ぎて行くのを見ていて生まれた句だと思うのだ。
越南は知らねど匂ふ稲の花 浪山 克彦
稲作の起源は中国の江西省あたりと言われている。今から一万年以上も前だ。ベ
トナムにも、早くに伝わったに違いない。ベトナム戦争始め苦難を乗り越えてきた遠
国の稲へ寄せる思いが句の底にある。
土弄り世に居る限り藪蚊寄る 富所 大輔
中七は後にかかるだろう。藪蚊とともに永らえようとするしたたかさが生んだ俳味豊
かな一句。
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