2013/10 bR41 小熊座の好句 高野ムツオ
炎天のみな仰向けの影を持つ 中井 洋子
影は、科学的には物体が光を遮ってできる、自然現象の一つに過ぎない。しかし、
影は人間のさまざまな心理を反映する存在としてイメージ化されてきた。その代表的
なのがドッペルゲンガー現象である。端的に言えば、影を自分の分身と捉え、それを
幻視することを指す。古今東西を問わず共通する考え方で、日本でも古くから、例え
ば自分の影が出て行くのを見たら死期が近いとか、影がない人は幽霊であるといっ
た俗信が伝わっている。泉鏡花や芥川龍之介にも自分の分身を見たというエピソー
ドがあるようだが、龍之介は晩年は精神病に加え、睡眠薬など薬物に頼っていたか
ら、そのための幻視かもしれない。
しかし、常に自分から着いて離れぬ影への思いは、誰もが子供の頃から培ってき
たものではなかったろうか。影踏み遊びの楽しさは、影を踏まれることが、そのまま
自分自身が踏まれる怖さと一体となっていることにあった。かつて行われた陰膳は、
不在の人の影に備えるという発想から生じたものだ。
この句の炎天の影が何の影であるか、直接は示されていない。しかし、「仰向け」で
あることから、人間の影であることは想像に難くない。俯せであるなら、影はただ沈黙
を守っているだけだが、仰向けであるということは、影そのものが、持ち主のさまざま
な思いを代弁する存在に見えてくる。炎天という場の厳しさを思うとき、それは、今、
生きてあること自体の苦悩をいっしんに背負い込んだ存在としての影なのではない
かと思えてくるのである。
稲の花もつとも白きとき契る 小笠原弘子
稲の花は、八月上旬、出穂後まもなく咲き始める。朝九時頃が開花時間のようだ。
もっとも咲くといっても籾となる部分の先端が割れて、そこから白い雄蘂が出てくるだ
けである。そして、開花まもなく花粉を散らし、やがて籾が閉じる。その間、約一時間
ぐらいだという。ほんの短い時間だが、順を追って開くので一週間ぐらいは続く。その
わずかな時間を「もっとも白きとき」と捉えたのである。これだけでも、魅力は十分だ
が、これにさらに稲妻のイメージが重なる。稲妻は周知の通り「稲の夫」。電光ひらめ
くさまを、稲を実らせる、いわば射精の瞬間と古代の人々は想像したのだ。実際、稲
妻は空気中の窒素を土に固着させるという。その瞬間に、稲の白い小さな花が重な
る。壮大なダブルイメージ、自然が織りなすエロスの世界である。
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