2013/11 bR42 小熊座の好句 高野ムツオ
狼の護符わかち合い霧に住む 須崎 敏之
昨年の十一月初旬、海程の秩父俳句道場に参加した。その折に椋神社を参拝で
きる機会があった。同名の神社はいくつかあるが、私が案内されたのは秩父事件の
決起集会があった吉田の神社。しかも、決起した翌日にあたっていた。この神社の
守護として両脇に据えられているのは狛犬ではなく狼である。椋神社には、みな狼が
祀られているという。大口の真神、これがオオカミの語源でもある。狼信仰は秩父に
限ったものではない。関東一円はむろん関西にも残っている。川崎市にも狼の護符
を授けてくれる神社があるという。狼はかつて山や田畑の守り神であった。確かに狼
は獰猛そのもので人間にも大きな危害を与えてきた。しかし、昔の人々は、その強大
な力を田畑を荒らす猪や鹿などから守る神として崇めてきたのである。宮城県でも東
和町に狼河原という地名が残っているが、「おいぬどん、おいぬどん、油断なく田畑を
見回ってくだされ」という唱え言が残っている。確か、隠れキリシタンが仲間にだけ通
じる隠語としても、用いられたのではなかったか。しかし、明治以降、政府は狼を害
獣と見なし懸賞金までつけて駆除に精出した。狼一匹雌が七円、雄が五円。白米一
俵四円で買えた時代だ。かくて、狼は日本から姿を消した。が、それは同時に日本
人が自然を畏怖し、自然の庇護に生きるという長い民族の思想を放棄することでも
あった。そして、これは、たぶん今回の原発事故と無縁のことではない。
またも、作品以外のことに貴重な誌面を割いてしまったが、掲句のすべてのものを
覆い隠す霧こそ、自然の見えない力を象徴するものだ。その霧の底で狼の護符をひ
っそりと分かち合う姿にこそ、私たちが忘れてしまった本来の人間の営みの姿があ
る。
放射能稲穂は痩身かがやかせ 佐藤 成之
頭を垂れて実った稲穂を痩身と受け止めるは、やはり放射能のせいだ。風に揺ら
れるその葉音にも、どこか不安感が揺曳する。しかし、それでも稲穂はせいいっぱい
輝く。三年前には、思いも及ばなかった異様な実りの秋がここには表現されている。
塩竈の闇市跡に秋日差す 関根 かな
塩竈の市中も東日本大震災の津波は襲った。観光客で賑わった魚市場闇市は壊
滅状態になってしまった。この句は、その残された場所に、かつては家々に遮られて
差すことがなかった秋日を詠んだものだ。闇へ光が差すことは本来は喜びのはずだ
が、ここでは、悲しみそのものなのである。
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