小 熊 座 2014/2   bR45 小熊座の好句
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     2014/2   bR45 小熊座の好句  高野ムツオ


    補聴器と冬陽と罹災証明書          渡辺 規翠

  東日本大震災から三年の月日が経つ。私は、震災前まで六十年以上生きてきた

 わけだが、以後の三年は何かそれま
でとは、まったく異なる時間であるかのように思

 えてなら
ない。それは生活サイクルや仕事の多忙さとは、また、違った意味である。

 確かに俳句の雑用は以前より増えた
し、以前よりも現実と積極的に関わろうとしてい

 る自分が
いる。それでも一日一日の過ごし方は、おそらく、震災前とほとんど変わり

 はない。しかし、何かが違っている。そ
の違いは何なのか、よくわからないままいた。

 が、この句
を読んだ時、その違いをほんの少しだが了解できたような気がした。

  それは、今という時間が、大震災で残された者たちの残り時間であると同時に、死

 者たちの生きることのできな
かった時間そのものであるからだ。そうした認識がもた

 ら
すやりきれなさであり、重さゆえであった。しかし、この句には、そのやりきれなさ、

 重さを超えようとする一縷の
思いも湛えられている。補聴器も冬陽も罹災証明書もほ

 ん
のわずかの生きる支えであり、それはすべて、作者の今の生を物語っている。だ

 が、この句の、ほどんど希望を失いか
けたあとの「冬陽」の輝きは、今までになかっ

 た比類ない
ものにさえ感じられるのである。

    なもかもなくした手に四まいの爆死証明    松尾あつゆき

 という、長崎原爆の句も思い出す。そして、控え目ながら、この句同様の佶屈の反逆

 精神をも受け止めることがで
きる。

    墨堤や今も昔の都鳥               我妻 民雄

  墨堤に都鳥とくれば「伊勢物語」だが、これは懐古している句ではない。今も昔と同

 様に同じ都鳥が住んでいると
いうことだが、人間世界は様変わりしているという意識

 が
表裏となっている。都鳥だけが「今も昔」なのだ。ここにも控えめの批判精神がこ

 められている。

    寒潮にもまれて来たる誕生日          澤口 和子

  若々しい句である。実際に船に乗って潮にもまれたかどうかは問題ではない。そう

 いう心持ちになったと解すべき
であろう。生まれ故郷、岩手の海であるなら大震災へ

 の思
いも重ねて読むことができる。

    枯菊の日にも雨にも供花として         瀬古 篤丸

  「供花」としたのは人間だが、菊は以後この世にあるかぎり供花として存える。その

 姿にも、どこか人間への鋭いま
なざしを感じるのは私だけだろうか。





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