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小熊座・月刊
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2014 VOL.30 NO.350 俳句時評
「終戦・敗戦」という言葉を巡って
武 良 竜 彦
八月十五日がなぜ、「終戦記念日」となったのか。そのことを不思議に思われた方も
多いことでしょう。
根拠となりそうな史実は次のことです。
八月十四日、ポツダム宣言の受け入れ。この日に玉音放送が録音され、翌日にラジ
オで放送された。
九月二日、降伏文書に調印。
戦後十年間、「敗戦」を特別に記念しようとする意識は日本人にはなかったのです。八
月十四日と九月二日は「敗戦」という事実が日本の歴史に刻印された日であり、多くの国
民にとっては思い出したくもない日だったのです。
そして時は流れ、日本は戦後復興という経済発展優先の路線をひた走ります。その過
程で朝鮮半島は分裂し共産主義国家中国が誕生し、日本は重要な防共堤の役割をアメ
リカに求められるようになります。戦争で負けたアメリカという大国が、日本の協力を必要
としていました。経済力もついてきた国民が、不遜にも理由の定かでない自尊心を擽られ
る時代の雰囲気が生まれました。政治的には「五五年体制」ができた時期です。少し過
去を振り返り、自分たちがそこから見事に立ち直ったと宣言してみたくなったわけです。
でも、その記念日に「敗戦」の匂いがするのを嫌う心理が働きます。八月十四日と九月
二日はそういう意味で心理的に回避されたのです。天皇が自分から戦争を止めると宣言
した、つまり「終戦」させたと捉えたら「敗戦」の匂いは消えます。政治とメディアはこの考
えを吹聴し、国民に刷り込み、八月十五日が「敗戦」ではなく「終戦」の日となったのです。
そして防共の堤防となるために、「自衛」という名の再軍備をし、基地機能の大半を沖
縄に押しつけました。「終戦」の名の下に過去の戦争の検証どころか、それを真摯に反
省する心すら失わせ、政治とメディアが国民に刷り込んだ「気分」によって「国民行事化」
したのです。
以上は佐藤卓己氏が『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』(ちくま新書)にお
いて、当時の史料を丹念に調査して論証した極めて学術的な論考の要約引用です。
似たようなすり替え、刷り込みは他にもあります。今政権が行っている「日本の安全の
ためには日米安保と基地と集団的自衛権は必要だ」という言説の背景には、戦後の非
戦の思いの結晶だった平和憲法を骨抜きにするための、長い刷り込みの歴史がありま
す。「自衛隊は軍隊ではないから合憲だ」「自衛隊の海外派遣は合憲だ」「同盟国と海外
の自衛隊や邦人を守る集団的自衛権の行使は国益に叶う」と、徐々に解釈拡大と摩り替
えを行ってきたのです。自民党の改憲草案は天皇を国家元首にし、自衛隊を国軍にする
としていますから、その刷り込みのゴールは明瞭です。
さて、問題は季語の「終戦・敗戦」のつく言葉です。
宇多喜代子氏はその著書『ひとたばの手紙から―女性俳人の見た戦争と俳句』(邑書
林)で、鈴木六林男氏の句集『雨の時代』から次の二句、
終戦日円から角に西瓜切られ 鈴木六林男
敗戦日短距離走者並び立ち 鈴木六林男
を引用し、「終戦」と「敗戦」が同じでないことを示していると指摘し、続けてこう述べていま
す。
たしかに戦争は終わったのだが、「終わる」には「勝った」終わり方もある。日本は
終わる前に無条件降伏のかたちで「敗れた」のである。戦後の歳時記に季語として
「終戦日」が追加されたが、新聞投稿欄の作品を見てもこれを「敗戦日」と表現した
ものは少ない。
「終戦」という言葉は、庶民の「やれやれ、いやな戦争がやっと終わったよ」という生活実
感語であり、「敗戦」は歴史的事実の記述用語なのです。政治とメディアは感覚語の方に
依存することで敗戦意識を忌避しました。
俳句の季語ではその双方が共存してきました。
冒頭で紹介した「終戦」という言葉についての佐藤卓己氏のような論考や、その視点が
広まってきたのは最近のことです。そんな中、敗戦直後から「敗戦日(忌)」しか使わない
でいる俳人がいることは尊敬に値することです。
二〇一三年の「俳壇」十月号に掲載された次の句、
終戦といえば美し敗戦日 宇田喜代子(「炎天」)
には、そのような問題意識自身が明確に詠まれています。 宇多氏には次の句もありま
す。
稲の原祖母と二人の敗戦日 宇多喜代子
濡縁のとことん乾く敗戦日 宇多喜代子
その宇多氏が別の著書『戦後生まれの俳人たち』で、本誌「小熊座」編集長の次の秀
句を揚げています。
影の数人より多し敗戦忌 渡辺誠一郎
「敗戦」俳句には他に次のような印象深い句があります。
敗戦の前後の綺羅の米恋し 三橋 敏雄
敗戦の日の夏の皿いまも清し 三橋 敏雄
敗戦日一日にんげん休みます 伊東辰之亟
言霊の抜け殻ばかり敗戦忌 平野摩周子
言葉に自覚的な俳人でありたいと志すのなら、こんな季語の来歴にも敏感でありたいと
思うのです。
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