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2014/7 bR50 小熊座の好句 高野ムツオ
長子の忌麦の匂ひの通り雨 山田 桃晃
長男が家を継ぐ、いわゆる、長子相続制は明治になってから制定されたものであ
る。始めは華族や士族を対象に長男相続制が定められ、それが家督相続として平
民にまで適用されるようになり、明治三十一年の家制度で確立した。江戸時代まで
の相続はさまざまで、それゆえ御家騒動などが起きたわけだ。女戸主という考え方
もあったが、例外中の例外であったらしい。「長子」という言葉ですぐ脳裏に浮かぶ
のは 〈 蟾蜍長子家去る由もなし 中村草田男 〉 である。長子として生まれた者
の悲哀と苦渋がにじみ出て、かつあふれる。家督制度は戦後の民法改正で廃止さ
れたが、家督という考え方は、その後長い間根強く残った。今は核家族化が進み、
さらには家族制度そのものが崩壊し、家族は根底から滅びつつあるとさえいえそう
だ。
掲句の作者はおそらく「長子」という立場にこだわる最後の世代かも知れない。そ
の逆縁の忌を修するにふさわしい穀物として麦を想起した。この救荒穀物はいくた
びも父祖を飢饉から救ったもの。その匂いがもっとも濃いのはたぶん黄熟期の昼
下がり。梅雨入り前の強い日差しの中であろう。だが、作者は、一雨が通過する最
中の匂いに心を動かされた。どこかに青みを残し、そして、雨上がりとともにたちま
ち失せてしまう、その束の間の匂いこそ、若くして世を去った長子そのものであった
のである。
みづからを揺さぶる齢山桜 中井 洋子
森羅万象どれに対しても、そのイメージや思いには、誰にも共通のものがある。し
かし、子細に突き詰めてゆくと、実はその思いは、千差万別でもある。「山桜」への
思いも同様。私にとって山桜は遠くから眺める桜のイメージ。この句の作者にとって
は仰ぎ見る花であるのかもしれない。どちらにしても、例えばソメイヨシノに比べれ
ば遙かに静謐。そして、それゆえにこそ、自らの肉体や生命が揺さぶられる。その
揺さぶられ方も、おそらくは人それぞれ、齢それぞれで千差万別なのに違いない。
遠き日の近づくやうなあたたかさ 志摩 陽子
蕪村の 〈 遅き日のつもりて遠きむかしかな 〉 と同工異曲。向日的な感受姿勢
が魅力。
縮むにも大きな力蝸牛 松岡 百恵
本当に赤い赤紙聖五月 佐藤 レイ
春光のしたたりであり子の笑顔 牛丸 幸彦
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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