鬼房の秀作を読む (47) 2014.vol.30 no.351
吾のみの弔旗を胸に畑を打つ 鬼房
『名もなき日夜』(昭和二十六年刊)
「濠北スンバワ島に於て敗戦」という前書きで、多くの死の上に現在が成り立つという鬼
房の心情が十二分に伝わってくる。この作品を詠まざるをえなかった時代があった。生き
残った者は畑を打たなければならない。誰かに向けた作品ではなく、真っ直ぐ内面に矢
を放つように詠まれたものである。鬼房の作品の多くには、読む方が息苦しくなるほどの
「われ」がいる。ともすれば「われ」を詠むことは格好悪いように思われる。鬼房は生涯を
かけてその格好悪い「われ」から逃げ出さなかったと言えるのではないだろうか。
押せ押せどんどんの政権は、鬼房が味わった時代が再び来るかもしれないと危惧する
声に耳をかそうとしない。決して「弔旗を胸に」などと詠ませてはならないのだが。
また前書きをはずせば、東日本大震災に襲われ、復興にはまだまだ遠い「いま」を表現
している、とも読める。ゼロから立ち上がる人々の姿をみるにつけ、残るのは「身一つ」な
のだということを知らされる。土を耕せば土の香に生きていることを気づかされる。種をま
けば芽を出す。どんなことがあろうとも原点である「畑を打つ」に私たちは何度でも立ち戻
ることだ。
鬼房の作品は古びない力を持っている。
(広瀬ちえみ「垂人」)
この鑑賞文を書くに当たり、改めて、倉橋羊村監修『現代俳人像上巻』中の佐藤鬼房
俳句の約五十句にまみえた。熱冷めやらぬその俳句群の感想を集約すれば〈みちのく
は底知れぬ国大熊生く 鬼房〉の一句に尽きる思いです。そして「みちのくの大熊」と鬼房
がどこかで重なって来る思いがしました。残念ながら、一度もお会いしたことのない佐藤
鬼房と言う人物の、恐ろしいまでの生き様に圧倒される思いでした。
さて掲句ですが、この句の「弔旗」の指す「国」はどう解釈するのか、「吾のみの」とある
ことで、昭和六十年に創刊主宰の『小熊座』のことかと思える。翌年、胃・膵臓・脾臓の手
術に入院するのだが、その状況は「わが五体摩滅をいそぐ豊の秋」などと嘯いている状
態ではなく、まさに満身創痍の中で、この句は生まれたものと想像できる。我が身と、生
まれたばかりの小国『小熊座』の行く末を慮りつつ、己を鼓舞させながら、病苦と懸命に
闘う姿が想像され「弔旗」の言葉の深さに胸を打たれる。また或いは、こんなことでは、終
わらない、そして、その小国をまだまだ耕して行かねばならない、否、そうして行くんだと
いう、絶対的な自信の裏打ちを感じさせる鬼房俳句の肉声の言葉ともとれる。
(牛丸 幸彦)
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