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2014/9 №352 小熊座の好句 高野ムツオ
生者には造れはせぬと虹立てり 浪山 克彦
数ある自然現象の中でも、虹はとりわけ神秘的である。 英語のレインボーは「天
の弓」という意味だが、その弓なりの形にはさまざまな異称があるようだ。佐渡では
鍋弦、 富山には地獄のお釜の弦という言葉が残っている。わざわざ「地獄」と断っ
たところが特異で、想像をたくましくすれば、その根元には地獄の鍋が煮えたぎって
いることにな る。一般には、虹は天上と地上の架け橋と考えられてきた。 これは洋
の古今を問わないようだ。北欧神話にもモンゴル語圏にも同様の伝承がある。日
本でも伊弉諾と伊弉冉が天から渡ってきたのは虹の橋である。
虹は蛇や龍の化身であるという考え方も古代中国にかぎ らず普遍化しているよう
だ。オーストラリアのアボリジニーは虹蛇と呼び両性具有の創造神と崇められてい
る。アフ リカには人間を呑みのたうちまわる蛇とする伝説も残っているようだ。中国
でも同様なイメージを培ってきたのは、虹が虫偏であることが象徴的である。 「字
通」によれ ば、「虹」の造り「工」は双頭の蛇の象形とのことだ。
これは、審美眼が生んだイメージというより、人知に及ばぬものへの畏怖がもたら
したものだ。虹は不吉だから指さしてはならぬというタブーも各地にある。虹は水を
司る神。その怒りに触れると洪水を始め、さまざまな厄災が起 こる、神を怖れよと
いうことだろう。
長々と虹にまつわる伝承に触れてきたが、掲句は、そう した虹のありようすべて
を踏まえて「生者には作れぬ」と指摘しているのだ。自然に人間は敵うはずはないと
の強い思いとも読める。しかし、死の世界の住人ならば作れるとの思いも籠もる。
死すことで、あらゆる欲望から解き放たれ自然そのものと一体になるからである。
この自然現象への畏敬の思いもまた震災以後のものであ ろう。
風薫る遠野はみちのおくの臍 浜谷牧東子
北上高地の盆地である遠野が昔話の宝庫となったのは、縄文時代から人間が
住み着いた長い歴史があるせいに加えて、内陸部から沿岸部への交通の要衝で
あったことが要因である。花巻の農産物と釜石の水産物が行き来し、行商を 始め
とした旅人が集う、言ってみれば、砂漠のオアシスで もあった訳だ。まさに「みちの
くの臍」。早池峰山や六角牛山を吹いてきた夏の風もまた、この臍に溜まるのだ。
何をもて一途となすか蜥蜴の尾 柳 正子
不意に刃先をこちらに向けられたような思いになる句である。人間誰もがそうだが
自らの信念を疑わず一つのことに向かって懸命に努力するものである。しかし、本
当に、 それが一途という言葉に当てはまるかと言われると、不意を突かれたような
思いになるのも事実だ。「それしかない」と信じていたことが実はもっと多くの選択肢
があった場合もあるからだ。生きるにあたっての大事は何か、考えさせられる句で
ある。そのことを「蜥蜴の尾」が象徴してるといえよう。ちなみに「一途」は仏語では
「悟り」を求める一つの方法を指すとのこと。
ほうたるの声は知らねど呼ばれたり 森田 倫子
蛍の声とは、例の冷光のことだろう。声は無論しないが、 声なき声に呼ばれる思
いになるのは、蛍の光を魂とする日本的な感受ゆえである。
飛魚を空に繰り出す海の青 鎌倉 道彦
飛魚が空を飛ぶのは、大型の魚などに襲われたゆえの必死の行為である。それ
を海の神が手助けしているのだ。
死ぬときの口許如何に明け易し 中井 洋子
「明け易し」 は 「後朝」 に通ずる。心中の一場面ではなかろうが、どこか艶がたゆ
たう。
沙羅の花胎児に届く日の光 根木 夏実
その日のうちに散る沙羅のはかなさと胎児の未来の時間。 こちらも生死が実に
対照的。
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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